どん入って食堂の入口へ行った。ドアはあいていて、出窓の白いレースが涼しく見えている。案の定、泰造が、セルのふだん着の腰にゆるく兵児帯をまきつけた形で煖炉を背にしたテーブルのきまりのところに坐り、巻紙を片手にもって、手紙をかいていた。伸子は、
「お父様!」
 からだじゅうでよろこびをあらわしながら、廊下のところで、わざとトンと白足袋の足を鳴らした。泰造は六分どおり白い髭のある丸顔を、びっくりしたようにふり向けた。
「おや、よく来ましたね。さあこっちへおいで」
 伸子は、父の坐っている座蒲団のはしに膝をつけるようにして坐った。
「どうなすった? お父様。この間、お誕生日にわざわざ花をもって来たのに――。黙って出張なんかなさるんだもの」
 この間といっても、あのときからきょうまでには、もう二十日ばかり経っていた。
「うむ、あのときはね、急だったんでね」
「お帰りになったとき、まだバラがあった?」
 泰造は、水牛の角でこしらえたトカゲの形の紙切りで巻紙をきりながら、
「あったようだよ」
 そういうものの、はっきりとは思い出せないで、多忙な人らしいうっかりした調子で答えた。花から、伸子は、今ふんで来た石の花形を思い出した。
「門の石じきの模様ね、あれ、お父様がデザインなすったの」
「そうだよ」
「花の形を、あすこへ入れることも?」
「――いいだろう? 気に入りましたか?」
 柿模様の火鉢のよこに、ついの小|抽斗《ひきだし》がついている。手をのばしてそこから封筒を出しながら、泰造がいった。
「門を入ると、花がある――わるくないだろう?」
 門を入って来る幾人のひとが、花をそこに散らしたこころをくむだろう。伸子は、自分までが今になってそれに気がついたとは、いいかねた。
「きょう、どうかなすったの? 珍しくお早いのね」
「ああ、腹をこわしてね、よるはことわって帰って来てしまったのさ」
「よかったわ」
 心から伸子はそういった。泰造が晩飯にいあわすことは月に数えるしかなく、そのときに伸子が来合わすことはさらに稀なことであった。
「お母様は?――お出かけ?」
「客だ」
 ぶっきら棒にいって、泰造は手紙を出させるためにベルをおした。
 六月の夕暮のうす明りが、出窓のレース越しに、植込みの青葉に残っている。落着いた深紅色の地に唐草模様のついた壁紙がはられた室内には灯がついていて、食器棚の深
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