目的についての疑問も、伸子の実感には、きのうきょうでない根をもっていることなのであった。
 それに、素子は、女のひとにたいする自分の感情のかたよりを枢軸に自分の人生が動いているように思っている。しかし、そのことについても疑問があった。日常生活での素子は、伸子より遙かに常識にたけていた。世間なみの日々のさしくりを忘れず、二人の収入から集金貯金をかけているのも素子であった。義理がたく、律気であり、人のつきあいに真情を大事にした。それらは、どれ一つをとっても最も普通であった。女のひとに対してもつ感情のうちの、分量としては小さい特殊さを、素子は男への反撥のつよさで誇大して、自分からそこにはまりこんでいるのではないだろうか。
 伸子とは二つ三つしか年上でない素子の二十前後の時代は「青鞜」の末期であった。女子大学の生徒だの、文学愛好の若い女のひとたちの間に、マントを着てセルの袴をはく風俗がはやった。とともに煙草をのんだり酒をのんだりすることに女性の解放を示そうとした気風があった。二つ三つのちがいではあったが、そのころまだ少女期にいた伸子は、おどろきに目を大きくして、男のように吉という字のつくペンネームで有名であった「青鞜」の仲間の一人の、セルの袴にマントを羽織った背の高い姿を眺めた。その女のひとは、小石川のある電車の終点にたっていた。
 互の誠意の問題としていい出されることであっても、伸子の女の感情にとって、それはありふれた小心な男のいうことと同じだと映るような場合、伸子は悲しく、そして容赦なく、自分たちのまねごとじみた生活の矛盾を感じた。素子が、男性への反撥で、皮相的に女らしくなくなっていながら、一方で、平凡な男が女に向ける古い感覚に追随しているのだったら、女が一組となって暮す新しい意味は、どこにあるだろう。
 こういういろいろの心持を、伸子は素子と率直に話せなかった。伸子には、そのいろいろな心持の内容がまだ十分自分にも見わけられていなかった。それに伸子は日頃の生活のならわしから、素子が激怒するのがこわかった。女はだからいやだ、という伸子にとって実感しにくい、素子の噴火口が、そこに火焔をふき出すことをおそれるのであった。

        十

 婦人欄を早くから設けていることが特色とされているある新聞社が、中国から来た女学生の日本見学団を招待して茶話会を催した。日本側の婦人
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