意味で、作者が所謂裸になっていないことを指しているのでないことは明らかであろう。作品に形象化された現実が人をうつのは、それが只実際そうであったというとおりに書き連ねられたからではないところに芸術の面白さがあると私は思う。我々がどちらかといえば粗忽に見すごして生きている社会の現実が、その錯綜と矛盾との生々した姿の本質にまで突きいって、社会的・歴史的意味を自ら明らかにしつつ作品の中に再現せられているからこそ私達はひきつけられる。文学におけるリアリズムと単なる経験主義、瑣末な日常写実主義との本質的な相違点はここにあると思われるのである。
窪川いね子の場合は、彼女がその原稿で、食うためばかりでなく階級的な意味からも入用であった金をとらねばならなかったのが、根本的な原因であった。
階級的夫婦の活動の分け前で、『牡丹のある家』の作者は経済の負担者としての役目を負い、文筆の仕事に着手した。山川氏の努力に、制約を加えている社会的重圧そのものが、彼女にも作用して、それらの作品を書かせたと同時に、それを一つの長篇として、完成する余裕を与えなかったのである。
所謂文壇的功名心を創作の動機としていなかっ
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