広い社会的背景の前に理解することが出来たであろう。
私は、何故、これら二人の根気づよい婦人作家が、少なからぬ内容のある作品をそのように小さく区切って書いて行ったのであろうかと、そこへ注意をひかれたのであった。
そして、この外見には同じような二つの現象が、その根源においては、決して同一のものの上に立っていないという発見に到着したのであった。
忌憚ない言葉を許されるならば、『朱実作品集』は、作者が題材に向って勇敢になれなかったところから長篇として書き得なかったと信じる。題材に立ち向って山川氏は作家となり切っておらない。別の言葉でいうと、作者は、作者にとって身近な女主人公の生活を、客観的にひろい社会性の繋りにおいて観て、その喜憂と努力と苦悩とを芸術の中に掌握し活写することを得なかった。作者は、困難な課題をふくんだ生活の部分をその実際生活と作品の構成からどこかひっそり目に立たぬよう引抜いていると感じられる。そのためにこれ程反覆され、殆ど既に長篇になりかかっている題材が、はっきり主題を押しすすめるところの芸術的統一を失っていることを私は遺憾に思ったのであった。
このことは勿論卑俗な実話的
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