早くから、自分はAに
「大晦日には、吉田さんの処へでも行きましょう。紐育《ニューヨーク》の連中が皆、集ろうじゃあないの」
と提議した。
 Aも、黙ってこそは居るが、同じ心持らしい。早速承知をし、吉田さんの処へ行って相談をまとめた。大晦日の七時頃から、夜中まで、皆で賑やかに、笑い騒ごうと云うのである。
 それで先ず大晦日の苦しさから丈は逃がれられた。正月号の太陽に出そうと思うものがあるので、幾分か其仕事にまぎれたが、自分の心は、ちょいちょいそのことに関した感想を書かずに居られない程オキュパイされた。
 丁度その最中、祖母の八十の祝いが迫って来た。
 以前からその話はあった。が、祖母自身がやめろやめろと云われるのと、父上の多忙から、ついのびて居たのであった。
 今仕なければ余り寒くなる。それに来年の四月は(一九二三年)丁度父母の銀婚式にも当るので、その祝いをしたい時、つまらない気兼ねをするようではよくないと云うこともあったのであろう。急に紅葉館で親類だけを招くことになった。
 その事が定って間もなく、或朝、自分が未だ眠って居る時分、祖母自身、歩いて片町迄来られた。
 何事かと思って会うと、彼女は、祝いの記念に、何か私の欲しいものを作って遣りたい。裾模様の着物がよかろうと思って相談に来た、と云われるのである。
 私は、彼女の好意に感謝した。然し、折角記念に拵えていただくのに着物では一向つまらない。
「それじゃあ、私の欲しいと思って居た勉強机を買って戴こうかしら。裾模様のお金を出せば一つ位余分な卓子まで出来るわ。私はその方がいいな」
と云った。
「そりゃあ、お前の欲しいものなら、どっちでもいいが。阿母さんも、裾模様がよかろうと云って居たから、……一遍相談したらよかろう」
「そうね」
「そうするもんだ。親の家へも行かないってことがあるんでねえ」
 祖母は、国言葉を出し、今にも手を引いて立ちそうな顔をした。
「今日行くの?」
「そうよ!」
 愛情から来る独断で、自分は寧ろ愛を覚えた。深く逆らう気も起らない。今行く方が総ていい、と云う直覚に動かされ、半ば祖母に打ち負けた形で、自分は林町へ、薔薇新の傍から行った。
 母は台処に、女中と、安積から来た柿のことを話して居られた。自分が今朝行くことを知って居られたのだろうか、知らなかったのだろうか。
 玄関の敷居を跨いだ時から心に湧いた素直さで、自分は何気なく配膳室と台所との境の硝子戸を押しあけた。
「今日は!」
「まあ、お嬢様!」
 まつ(女中)が、懐しさの満ち溢れた声を出す。
 彼方を向いて居た母上は、素早く此方を振向いた。そして、自分のやや寂しく微笑んだ顔を認めると
「おや、まあ……」
と云うなり、何とも云えない表情をされた。胸の迫った面持である。可愛ゆさ、安心、悦びが、一時にぐっとこみあげ、涙となろうとするのを、危うくも止めた表情である。
 自分はそれを見、正視するに耐えなかった。眼を逸し、さりげなく
「安積から来た柿?」
と、まつに話しかけた。
「そうでございます。俵に一俵も来ましたの」
 母は、黙って食堂に戻って行かれた。暫くして、自分も行く。――
 祖母が、本能で思い付いた口実で、勿論彼女の贈物のことは、相談する迄のことはなかった。
 母は静かに、自分の深い感動を制し、一言も悦びは云い表わされない。然し、三人で、落付いた昼餐をし、立ち入らない話をする間に、自分は彼女の和らいだ心を、まざまざと感じた。それが、不安になり、不自然を覚え始めた自分の心にも、云い難い安息、流れると自覚し得ない程、身についたヒーリング・ウォーターとなって滲み通って行くのだ。
 私は、とり戻せた平静を感じて帰宅した。けれども、夕刻に近く帰って来たAに其、突然起った今日の出来ごとを告げる時、口吻には、自ら、迷惑げな響が加えられた。
 Aがそれを、何方かと云えば、だらしないこと、不快の分子の多いこととして感じるのを、心が、我知らず先廻りをして仕舞ったのであった。
 斯様にして、自分と林町との間に丈は、皮膚の傷が自ら癒着するように、回復が来た。
 一度、固執を離れ、自分の芸術と云うことを抜きにして逢って見れば、自分達母娘は、流石《さすが》に何と云っても血で繋ったものである。彼女も会うことは嬉しく、自分も、楽しい。平常ほど繁々ではないが、又、折々自分は林町へ行くようになった。西洋間に坐り、自分の家には、殆ど全然欠けて居る趣味的な圏境にゆっくり浸ること丈でも、自分を可成り牽くことなのである。けれども、切角林町で幸福に、深い感興を覚えて来ても、一歩家に入ると、Aの、何とも云えない険悪な、陰鬱な感情に充満されて居るのを見るのが、如何にも自分には苦しかった。
 彼には、私が独りで彼方に行き、独りで相当に楽しく愉快にして来るのが、云い難い不快であるらしい。厭な、狭い、暗い顔をして机に向い、気のない声で私の「只今」に応え、思い知れと云う風をされると、自分は失望や悲しみで、猛然と掴みかかりたい激情を覚えるのだ。
 若し自分が行くのが不愉快なら、何故フランクに行くな、と云って呉れないのか、
 行かせたなら、どうして、もう少し寛大に、自分の娯んで来たことを悦んで呉れないのか、
 其為に、行って来ても、受けた十の悦びを、一にも半分にも減して表情に顕す自分を自覚し、私は我ながらぞっとした。
 Aが愉快そうでなければ結局、自分もしんから楽しくはなれない。然し、林町での心持よさは忘られない。その内心の鼓動を、Aの傷かない程度に表現しようと無意識にもする為、時には、些か迷惑であったことを誇大したり、ハアティーに笑って過した数時間を、詰らなそうに話してきかせたりすることが起ったのである。
 此、相手の嫉妬心に制せられた状態が、自分の性格に、どれ程大きな嘘偽を作るか、思うと、一刻も、斯様な地位には安じて居られなくなった。切角自分の持って生れた正直さ、朗らかな子供らしさ、美しいもの、よいもの、楽しいものを愛す自然な要求を、どこまで虐げてよいのだろう、
 或晩、女中の居ない時、自分はAを捕えて、其ことを話した。
 自分に、強いて心をダルにする境遇は、とても辛棒することは出来ない。林町に対しての貴方の心持は判る。けれども、どうか自分の心持に丈は、もう少し寛大であって欲しい、陰険でなくなって呉れ、と願[#「願」に「ママ」の注記]んだのである。
 Aは、それは、余り、私が彼の気持を察しないことであると云った。
 自分は、米国から帰る時、父や母に対してどんな心持を抱いて来たか。三つの時、母に死に別れた自分は、林町の母に対して、真実我が母に再会するような期待、愛の希望を以て戻った。処が事実はどうだろう。彼女は、何から何までを批評的に見られる。決して打ち解けない。而も、自分にとっては、真に真に思いも設けない絶交まで申し渡される。――
「其は、百合ちゃんは、誰よりもよく自分の心を解って呉れるのは事実だ。けれども、正直に云えば、此心持は、僕にどれ程深いショックを与えたか、解らないのじゃあないかと思う。
 僕は、実際、長く別れて居た自分の親類の者よりは国男さんでも英男さんでも可愛いく思って居る。出来る丈行きもし、皆と一緒に楽しみたい。其を、来るなと云われ、然も百合ちゃん丈は、自由に出入りされるのかと思うと、どうしたって、僕は淋しく思わずに居られないじゃあないか」
 善悪を抜き、自分にはAの心持が気の毒に思われた。同時に又、其だけの心持、其だけの真実を、何故、母に、まともから話されないのだろう、と思わずには居られない。母は、所謂理性的で、理論から行かなければ合点をしない人のようでもあるが、決して、感動の出来ない人ではない。動かし得る、否、動き易い熱情を持って居るとさえ云えるだろう。彼が、真剣に、熱を以て、自分の真心を現しさえすれば、きっと、より広く彼自身を理解させることが出来るに、違いないのである。
 性格と性格の組合わせで、母のような人には、相手からフランクに出なければ永劫うまく行かない。処が、Aは、自分に観察的であるなと直覚した者に対しても、猶、朗らかで、構わず自分を表わす丈の、大きさはない。誘い出される好意がなければ出て来ない。一方、母は、客観的に、冷静に、如何う働くか、彼の心の様を観ようと云うのであるから、其間に、どうしても一種、渡り切れない氷河がある。
 私は、母に対して、何より先に、まず愛そう、と云う暖さのないものを歎くと共に、Aに対しては、彼の独善的な、小さい、大らかでない心情を、情けなく思わずに居られないのである。
 斯様な、デリケートなことは、仮令《たとい》一日一晩、私が泣き明したとて、一時に、どうなるものでもない。
 此事を話した時にも、自分は胸に迫り、涙を流さずに居られなかった。
 どちらもいとしいのだから、どちらも仲よく、心を開いて打ちとけて欲しい。睦しい団欒がしたい。虫のよい願いかもしれないが、自分は、父母良人、弟妹と、皆、一つ心で笑い、働き、楽しみたいのである。
 大晦日の晩、自分等は予定通り、吉田さんの処へ行った。人数は差程集まらなかったが、何と云っても、鍋から、おこげを分けて貰って食べた友達である。紐育時代のこと、結婚した友人の誰彼のこと。話したりカードを遊んだりして居る最中に、遠くの方で、百八の鐘が鳴り始めた。近所に寺が少ないと見え、あまり処々には聴えない。静に一つ一つ、間を置いては突き鳴らす音が、微に、ストーブの燃える音、笑い声を縫って通って来るのである。
 皆、他の人は心付かないように見えた。けれども、自分は、手に賑やかな骨牌《カルタ》を持ち、顔は明るく笑い乍ら、何とも云われない魂の寂寥を覚えた。
 去年の大晦日は林町で二三時頃まで過し、雪の凍ってつるつるする街路を、Aと小林さんと三人で、頼まれたペパアミントを探し乍ら、肴町を歩いたのを思い出す。彼方では何をして居るだろう。恐らく、あまり陽気ではない心持がする。両親は、スエ子を連れて、二十九日頃から、浜名湖に行くと云って居られた。家には祖母、弟達、働いて居る者きりだろう。自分にとって始めてであると同じ淋しい大晦日が、彼等にも来たと思われる。――
 二日の日、私共は二人で林町へ行き祖母に年始の挨拶をした。
 Aが発議をし、折角の心持にけちをつけるのを思ってやめたのだが、自分には一寸いやな心持がした。仮令父母は居ないでも、彼等の家であることに変りはない。その家へ来るなと云われたのに、留守の間に、祖母の為とは云え、入るのは、何処となく純粋でない。女々しさが感じられたのである。
 斯様な状態のままの処へ、国からAの父の来られたことは、我々にとって、明かに或苦痛である。
 何にも知らない老人は、一日も早く林町へ行き、謂わば、永い間の懸念になって居る公式の訪問をすませたい。それがあるうちは、見物も長閑《のどか》に出来ないと云われる。
 せっぱ詰った揚句であろう、Aは、突然林町へ電話をかけた。そして、父を呼び、二三日のうちに、行き度い意向を告げた。彼の心持で云えば、一寸客間で話しでもして帰る積りであったのだろう。けれども、林町では、折角来られたものだから、せめて夕餐でも一緒にしたい。それには、自分(父)の腹工合が悪いのをなおしてから。いずれ四五日うちに、と云うことになった。
 始めから、自分は不安を覚えて居る。Aの遣り方は、当を得て居ないと感じる。少くとも、母が、それで、それならと、云われるとは思わない。何かなければよい、と思って居るうちに、翌日、林町から電話郵便が来た。至急、私に来い、と云うのである。
 不快な、来るべきものが来たと云うような心持で、夜、自分は林町へ行った。
 父が、話があるからと云って、西洋間に呼ばれる。
「もう、どう云う用だか分って居るだろう? 何だと思って居る? 云って御覧、」
 穏やかに、然し父親らしい態度で切り出され、自分は三つか四つの子供に戻ったような、間の悪さを感じた。
「あれでしょう、おかあさまが、不満足でいらっしゃるんでしょう?」
「うむ。つまり
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