いものと思い、林町へ頼み、定ったら来て貰うべき日であった二月十一日に、引越しをしてしまったのである。
落付いたら、来て頂こうと思い、又、手紙を出した。それも、父上の言葉では、いそがしく、いつがよいか決定しない。ついそのままとなって仕舞ったのである。事の直接原因は、私が昨年の九月、太陽に書いた「我に叛く」が基となって居る。
兎に角、相互の間に、一脈の疎通が出来た今になっても、此一事は、自分に深大な考の酵母となって居る。つまり、芸術家と普通人との間には、如何に、物象の観方に純粋さの差異があるか、又、その差異が、一種常套的な道徳感のようなものと結合して、一般人の胸からは、如何程抜き難いものになって居るか、と云うことの反省である。
事なら事を、其自体、人間の、或位置と位置との関係の間に生じた一つの現象として、平静に、理解と愛と洞察とを以て、観ることは出来ない。直ぐ、自分とか誰とか云う意識に遮られ、中流、上に足を入れかけた中流人の、貪慾に近い名誉心を傷けられ、又、おだてられる。
苟且《かりそめ》にも、小説に書く場合には、私自身のことを書いて居ても、決して、私心を以て描くのではない。心持そ
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