。
早くから、自分はAに
「大晦日には、吉田さんの処へでも行きましょう。紐育《ニューヨーク》の連中が皆、集ろうじゃあないの」
と提議した。
Aも、黙ってこそは居るが、同じ心持らしい。早速承知をし、吉田さんの処へ行って相談をまとめた。大晦日の七時頃から、夜中まで、皆で賑やかに、笑い騒ごうと云うのである。
それで先ず大晦日の苦しさから丈は逃がれられた。正月号の太陽に出そうと思うものがあるので、幾分か其仕事にまぎれたが、自分の心は、ちょいちょいそのことに関した感想を書かずに居られない程オキュパイされた。
丁度その最中、祖母の八十の祝いが迫って来た。
以前からその話はあった。が、祖母自身がやめろやめろと云われるのと、父上の多忙から、ついのびて居たのであった。
今仕なければ余り寒くなる。それに来年の四月は(一九二三年)丁度父母の銀婚式にも当るので、その祝いをしたい時、つまらない気兼ねをするようではよくないと云うこともあったのであろう。急に紅葉館で親類だけを招くことになった。
その事が定って間もなく、或朝、自分が未だ眠って居る時分、祖母自身、歩いて片町迄来られた。
何事かと思って会
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