感じた。
 が、床に入り、四辺が静になると、自分は、激しい悲しみに捕われて、気が遠くなるほど歎いた。
 憎い、どうでもよい者に、誰が此程涙を流そう。母よ。貴女も、今、そちらの静かな闇の中で、斯様な悲しみに打れて居らっしゃるのですか。何と云うことだ。辛いことだ。然もそれが避けられない――。彼の家で育った二十幾年かが、津浪のような記憶で、自分の感傷を溺らせた。
 翌日、自分は心が寥しく病んだようになり、一日床についた。
 その夜から、十一月の四日迄、まる一箇月、自分は到頭林町に足踏みしなかった。
 今までの、何時、彼方から呼ばれるか判らないと云うような気分もなく、一寸、仕事がつかえても、行って見ようかな、と云う遊び心に動かされず、当分は、却ってさっぱりと、心が落付いたような気分がした。
 国男さん、英男、スエ子も時々遊びに来る。その度に母の様子を間接にきき、彼女が、あの時、逢わずに死ぬかも知れないと云われたような切迫した心持では居ないらしいのを聞いて、私《ひそか》に安心する。彼女の方でもきっと、皆に、それとなく自分の様子を尋かれるのだろう。
 始めの間は、皆が、事の内容を知らず、何かあった
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