等は、長い間話した。
「解らない。どうしても、私とは一致しない処がある。お前はボルシェビキだよ。確に過激派だ」
 すっかり理解が出来たと云うのではなくても、思って居たこと丈は兎に角云って、少しは心も溶けたと云う風を見、其日は帰った。
 Aは、詰らない、何故そう判らないのか、と云って厭な顔をする。特に、彼にとっては、母が、陰で小細工をした等と思われた事が、ひどく不快なのである。
 その内に、九月も下旬になった。
 或日の午後、オートバイでK男が来て、今晩、是非二人で来いと、伝言を齎した。
 勿論、前の続きであるとは推察される。母はきっと、二人を並べて、もう一度、みっしり自分の考を明にされたいのだろう。物事を、或時、ぼんやりさせて置けない彼女の性格としては無理もない。然し、私は、如何うしたらよいのだろう。幾度、母の愁訴、憤怒にあっても、心の態度は、もう定って居る。一層解って貰えるように、一層、心に入り易いように、先日話した諸点を、又繰返すほかないのである。
 二人は陰気な心持で、夜店の賑やかな肴町の大通りを抜けた。
 H町の通りは、相変らず暗い。ずっと右手に続いた杉林の叢の裡では盛に轡虫が鳴きしきり、闇を劈くように、鋭い門燈の輝きが、末拡がりに処々の夜を照して居る。
 父上は、まだ帰って居られなかった。いつもの正面の場処から、母が、隔意のある表情で、
「いらっしゃい」
と軽く頭を下げられる。
 自分は居難い心持がした。彼女が何を思って居られるのか判らず、周囲の人も亦、知ったような、判らないような、何処となく不自然な雰囲気を以てかこんで居るのである。
「――じゃあ、一寸二階へ来てお貰いしましょう」
 やがて、自分等は、二階坐敷へつれられた。
 先に立った母が、改って坐布団などを出される。自分は、其那片苦しい待遇に堪えないで、縁側にある長椅子に腰をかけた。
 Aは、母と相対して坐らざるを得ない。
「貴方も、勿論、もう百合子からお訊きでしょうし、又斯う云う事になると云う位は、若い者でもないのだから前以て御存知だったでしょうが、一体、あの――何ですね、今度百合子が書いたものを、どうお思いです?」
 彼女は、強いて落付き、足場を踏みしめた態度で口を切り始めた。
「どうと云って、私の目から見れば、相当によく出来て居ると思います」
「小説としては、それは、よく書いてありましょう。然し、貴方は、あの中に、何か御気の付いたことはなかったんですか」
 Aが返事をしないうちに、彼女は、あとをついだ。
「若し、何か、世間に対して、如何うかと思うような点があったら、注意して、なおさせてやって下さるのが当然ではないでしょうか。御承知の通り、百合子はまだ若いんだし、世の中のことは知らないのだから、貴方が指導して、正しい道を歩かせて下さってこそ、私は、良人としての価値があると思うのです」
「それは、勿論」
 Aは、詰問的な母の口調にあって、少なからず、感情の自由な活動を遮られ、言葉がうまく自然に出ないと云う風に見えた。
「いろいろな日常生活のことでですね、僕も出来る丈忠告もし、いいと思う方に進めもします。けれども、書くものについて丈は、僕は、一口も挟まないことにして居ます、どこまでも、自由に、自分のものを現わさなければいけないと思いますから」
「だけれども、何も、悪い自分のものまでを、放縦に現わす必要はないではありませんか」
 母は次第に亢奮を押え切れなくなった。
「先達って、百合子が来た時にも、随分熱心に話したのだけれども、どうしても合わない、間違った処がある。自分の心に感じたことは、何でも書かずには居られないと云うが、親を苦しめ、夜もろくろく眠られないような思いをさせることを、何もわざわざ書くには及ぶまいと、私は思うのです。芸術の使命と云うものは、決して其那低い処にあるのではない」
 彼女は、私の説明も、Aの弁解も聞かれなかった。
 涙をこぼし、顔つきを変えて、云いつのる。そして、終に、
「斯うやって私達が会うからこそ、お互に不愉快なこともあれば、誤解することもある。それを一々百合子が書かずに居られないようでは、決して為にはならない。だから、斯うします。お互にもっと諒解し合えるまで、貴方にも百合子にも、決して御目にかかりません。私には、実際辛い。死んでしまうかもしれないけれども――その方が結局、百合子の幸福になれば仕方がありません。貴方も御安心でいいでしょう」
 私には、全く意外のことであった。
 会えば不愉快なことがあり、私が何か書くといけないと云って、絶交すると云うことが、親子の間にあり得ることだろうか。
 彼女の涙のうち、掻口説かれる言葉のうちに、自分は、明に其に堪えない執着、もうあんなことは問題にして居ない愛の熱を感じた。
 私は母の為に、其那感情の
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