を問ねて置いたのである。
けれども、何にしろ父上は、いそがしい。その一日か二日前にならなければ、はっきりした返事は出来ないと云う有様である。母上も、はっきりしない。私を呼び、切角云って来たのを、断るのも余りひどいからと、お父様もたって仰云るから[#「お父様もたって仰云るから」に傍点]、まあ行こうと思っては居るが、と云う程度である。
私の心持では、Aが、自分から進んで、其丈の配慮をしたことに、深い慶びを感じて居た。其だのに、彼方では一向、此方ほどの熱意を示して呉れない。半分、いやいや恩にきせたような母上の口吻を、自分は下等に感じた。彼女が自分の口から、来るな、会わない、と迄云い切ったのを、今更取り消し、折れることが、如何に、性格として不可能かは判って居る。其故、彼女を立て、此方から、被来って下さいと云うのに、何故からりと、朗らかに、その譲歩を受けられないのだろう。
いつまでも、ぐずぐずして定らず、自分も気が抜けたような処へ、丁度、此、青山の家が見付かった。
前後して、元老の山縣公が、一般の無感興の裡にじりじりと死滅して、十日が、国葬であった。為に、確答がないから、繰り合わせてもよいものと思い、林町へ頼み、定ったら来て貰うべき日であった二月十一日に、引越しをしてしまったのである。
落付いたら、来て頂こうと思い、又、手紙を出した。それも、父上の言葉では、いそがしく、いつがよいか決定しない。ついそのままとなって仕舞ったのである。事の直接原因は、私が昨年の九月、太陽に書いた「我に叛く」が基となって居る。
兎に角、相互の間に、一脈の疎通が出来た今になっても、此一事は、自分に深大な考の酵母となって居る。つまり、芸術家と普通人との間には、如何に、物象の観方に純粋さの差異があるか、又、その差異が、一種常套的な道徳感のようなものと結合して、一般人の胸からは、如何程抜き難いものになって居るか、と云うことの反省である。
事なら事を、其自体、人間の、或位置と位置との関係の間に生じた一つの現象として、平静に、理解と愛と洞察とを以て、観ることは出来ない。直ぐ、自分とか誰とか云う意識に遮られ、中流、上に足を入れかけた中流人の、貪慾に近い名誉心を傷けられ、又、おだてられる。
苟且《かりそめ》にも、小説に書く場合には、私自身のことを書いて居ても、決して、私心を以て描くのではない。心持それ自身を、或圏境に於ける、或性格の二十何歳の女は、斯う思った、と、自ら観、書くのだ。本能が観察せずには居ないのですから、と云っても、其は通じない。「我に叛く」の場合では、此点が、一層、複雑にもつれた。母上は、自分が、完く仕様のない母として故意に描かれて居ると思い込み、始めは、Aが、私を教唆して、あれを書かせたと迄、思われたのだ。
自分が如何《ど》う云う内的の動機で書いたか、説明は耳では聞かれる。が、心に些も入らない。
九月の初旬、母は、憤って私を呼びつけられた。
如何程、熱心と誠意とで説明しただろう。
自分は、一大危機に面して居るのを覚えた。どうかして、彼女に理解し、納得して貰わなければならない。芸術家としての一生には、此から、猶此様なことが起らないとは限らない。その度に、斯程の誤解と、混乱があるのでは、どうしたらいいのか。又、彼女の威脅や涙に、創作を掣肘されては堪えられない。今まで、自分は充分、それを受けて来た。やっと、人間として生活し始め、独特な作品も出ようと云う時、又、再び、貧しき人々の群を書いた頃の、従順を期待されては、全く、一箇の芸術家として、立つ瀬がないではないか。
これ程、自分の感情、よく云われる悪く云われる、世間体、体面を喧しく云われるのなら、何故、自分を仮にも芸術家として世に立たせて呉れた。何故、左様な天分を与えて生んで呉れた!
涙が、押えても流れた。母と自分の為、一生の用意の為、自分は、心のあらいざらいの熱誠をこめて、話した。
母も泣かれる。
私なんかは、如何う云われようが、何と思われようがお前の芸術さえ、崇高なものになれば、構わない。けれども、そうは思えないのだもの、どうしたって、左様は思われないのだもの。
あれから、考えて考えて、夜も碌々眠らない、と泣かれる。
私の仕事を思って呉れられる愛、それをもう一歩、真個に、もう一重、ぽん! と皮を打ち破って、広い処へ、何故出られないのだろう。
何故、出て見よう、とはされないのだろう。
彼女の愛は身にこたえる。然し、不明な点は、一歩もゆずれない。一言、悪かったと云ったら、私は、少くとも、今度の恋愛、結婚、すべてを悪かった、と自認したごとくなるだろう。未来の一生を、彼女の、狭い、純潔だが、偏した、善悪の判断の下に、終始しなければならなくなるだろう。
寒い日で、炬燵にさし向い、自分
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