。それ程、子の我ままを認容すれば、又、親の子に対する我ままも、少くとも其程度迄、認めなければならないのではないだろうか。
自分の勝手のよい時ばかり、親だもの、と振舞ったと云われても、自分等に確かな心の弁護が出来るとは思われない。
「自分は、今度は実によい機会だと思う。お父さんの上京されたと云うことで、必要からでも、我々は、もう一歩と云う処まで接近して居る。此処で調和する点を見つけ、ずっと工合よく行くように相方で理解することは、決して無駄なこととは思われない。そうじゃあないか? 今、若し、自分に悪いことはない、此方から折れては出られないとなれば、我々にも又、Aさんに対して持って居る種々な不満や何かで、一生別れ別れに暮さなければならないことになるからだ。」
考えた後、自分は云った。
「Aに悪いことがないと云うのは、あの小説の動機についてで、引越しや何かの時した我々の手落ちや心持の反省の足りなかったことはよく判ります。それに、おかあさまのそう仰云る心持も、真個に愛があるからこそなのだから。――よくAに話して見ましょう。そして、一度私共で来、すっかりお話をし、それから、更めて、父親を招いて下さればいいから」
「そう出来れば、真個に結構なことだ。どうもそれは順序なのだからね」
間もなく、スエ子を寝かして居た母が下りて来られた。父から、私の承諾をきき、深い悦びを面に漲らせた。然し、未だ、あの小説を根に持って居られるのは判る。
父が、全然理解の一致しない点には些も触れず、而もちゃんと、快く、希望する結果に導き入れたには、驚きを覚えた。
人と人との仲に入る者の話し振りなどと云うものが、如何程、相互の関係を簡単にし、複雑にするか。その実感も、今夜始めて得たようにさえ感じた。今までは、親、弟妹の間にだけ生活し、無邪気に、
「おかあさまがね、斯う仰云ってよ」
と云ったとしても、何等、愛の問題には関係ない状態にあった。一面から云えば、其丈、純粋で、根強い愛が皆を、しっかりと一つ枝に結びつけて居たのだ。
自分には、そのあけっぱなし、無くなす必要もない筈の子供らしさが失せない。つい、受けた感じをそのままAに話す。若しAが、その話にも煩わされず、又直ぐ忘れ、笑うような天才的なら面倒はないのだ。然しそうではなく、皆、胸にたたみ込み、ある愛を殺いだり、つみあげたりする。
恐らく母の方でもそうなのだろう。
それを今まで、今夜ほど明らかに感知しなかったと云ってよい。自分の生活では、無心、女らしい可愛い浅はかさ、などと云うものが、決してあるがままでは存在し得ない有様なのだ。
僅か一時間足らずの話の間に、其等、自分にとっては、意義ある多くのことに思い当り、静かな、然し底に淋しさを持った心持で、オートバイで帰って来た。十二時少し過て居ただろう。
Aは床には入り、眼を覚して居る。
自分は、出来る丈平静に、又、八畳の方に眠って居る老人の熟睡をも妨げないようにして、林町で話して来たこと、自分の考え等を述べた。
Aにしろ、もっとよい状態にありたいと云う心は強い。彼はしきりに、今、急にそんなことをしても、真実の理解がなければ、又同じようなことを繰返すのではないかと云うことを危うんで居る。
けれども、遂に、それでは明日、二人で午後から行って、おかあさまにも会い、よく話して見ようと云うことに定った。
彼が内心、どれ丈の深さで、此事を承知したのか、自分にはよく解らず
「その方が百合ちゃんも幸福になり、おかあさまもいいと仰云るなら、そうしましょう、ね、それが一番いい」
と云う言葉で、寧ろ、無反省な、不快に近い感を受けた。
明る日、晴れた日曜であった。自分等二人は、陰気な気分を紛らし得ず――Aが、心から歓んで和解を迎えたのではなく、如何にも已を得ず義務と云う感で承知したので――、肴町までの長い電車の間、私は殆ど一言も口を利かなかった。彼は思想に出た「犬」と云う面白い小説を書[#「書」に「ママ」の注記]み、自分は明星の色彩音楽について読んで居る。勿論、些も、楽しい読書ではない。本でも読まなければ、顔を見るのもいやな気分になって居たのである。
父は、特に願って家に居て戴いた。入って行くと、西洋間へ、と云うのでAを其処に通し、自分は食堂に行く。
母は、私の不快そうな顔を認め
「何も、お前が御不承知なら、来て貰うには及ばないのだよ」
と云われる。自分は、折角の気分を壊すことをおそれ
「疲れて居るのよ」
と、打ち消した。
「――それ丈ならいいがね。――」
自分は、注意深い眼を、眉や口に感じた。
「ね、百合ちゃん、斯うしようじゃあないか。此から、何か百合ちゃんの書くもので、私のことが出るのは、一度前以て見せて貰うように。その方がいいと思うよ。何も、斯う云うことがあ
前へ
次へ
全10ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング