い乍ら、何とも云われない魂の寂寥を覚えた。
 去年の大晦日は林町で二三時頃まで過し、雪の凍ってつるつるする街路を、Aと小林さんと三人で、頼まれたペパアミントを探し乍ら、肴町を歩いたのを思い出す。彼方では何をして居るだろう。恐らく、あまり陽気ではない心持がする。両親は、スエ子を連れて、二十九日頃から、浜名湖に行くと云って居られた。家には祖母、弟達、働いて居る者きりだろう。自分にとって始めてであると同じ淋しい大晦日が、彼等にも来たと思われる。――
 二日の日、私共は二人で林町へ行き祖母に年始の挨拶をした。
 Aが発議をし、折角の心持にけちをつけるのを思ってやめたのだが、自分には一寸いやな心持がした。仮令父母は居ないでも、彼等の家であることに変りはない。その家へ来るなと云われたのに、留守の間に、祖母の為とは云え、入るのは、何処となく純粋でない。女々しさが感じられたのである。
 斯様な状態のままの処へ、国からAの父の来られたことは、我々にとって、明かに或苦痛である。
 何にも知らない老人は、一日も早く林町へ行き、謂わば、永い間の懸念になって居る公式の訪問をすませたい。それがあるうちは、見物も長閑《のどか》に出来ないと云われる。
 せっぱ詰った揚句であろう、Aは、突然林町へ電話をかけた。そして、父を呼び、二三日のうちに、行き度い意向を告げた。彼の心持で云えば、一寸客間で話しでもして帰る積りであったのだろう。けれども、林町では、折角来られたものだから、せめて夕餐でも一緒にしたい。それには、自分(父)の腹工合が悪いのをなおしてから。いずれ四五日うちに、と云うことになった。
 始めから、自分は不安を覚えて居る。Aの遣り方は、当を得て居ないと感じる。少くとも、母が、それで、それならと、云われるとは思わない。何かなければよい、と思って居るうちに、翌日、林町から電話郵便が来た。至急、私に来い、と云うのである。
 不快な、来るべきものが来たと云うような心持で、夜、自分は林町へ行った。
 父が、話があるからと云って、西洋間に呼ばれる。
「もう、どう云う用だか分って居るだろう? 何だと思って居る? 云って御覧、」
 穏やかに、然し父親らしい態度で切り出され、自分は三つか四つの子供に戻ったような、間の悪さを感じた。
「あれでしょう、おかあさまが、不満足でいらっしゃるんでしょう?」
「うむ。つまり、余り突然だと云うのだね、妻《さい》の心持で云えば、斯う云うことを云う前に、何とか、前からのことの定りがつくべきであると云うのだ。ずるずるべったりで、いきなり父親を連れて行くから、と命令されるようでは、甚だ心苦しいと云うのだ。
 切角、田舎から出て来られたのだし、お前の立場としても同情されるから、うちでは、出来る丈歓待してあげたい。然し、一方、そう云うことがあっては、何だか、まるで嘘偽で、実に辛い義務になって仕舞う。母は、若しそう云うことになれば、東京に居て会わないと云うことには行くまいから、何処へか旅行でも仕なければなるまい、と云うのだが――
 お前は、どうしたら一番いいと思うかね?」
 父の言葉で、自分は、その時まで心付かなかった、両親の、純粋な心持を、明らかに知らされた。Aの方では、とにかく形式にでも一度連れて来さえすれば好い。どうにかなるだろう、と云う心持で居る。然し、此方では、逢うなら、心から逢いたい、それでなければ一層会わない方がよいとさえ思うが、仲に入る私を思い、それも出来ず感じる。どうしたらよい、と云うのである。
 自分は、一応順序として、彼も其には心付いて居、前に二人に来て戴きたいと云ったのだと話した。
「然しだね。丁度、来い行こうと云うようになって居た時に引越などをして仕舞ったのは、実に失敗だったね。自分は、よくあの母が行くと云ったと思って居る。あの機会を逃したのは、実に手落ちだった。只、延びたと云うだけでなく、引越しより、自分達を招くことが重大でなかった証挙だと母などは思って仕舞った。それを第一に思って居れば、引越しなどは十日でも二十日でも、延して置ける筈だと云うのだ。
 延してもよいかときかれて、いけないとは云えない立場だろう?」
 父の、斯う云う場合の話しは、コンヴィンシングな、独特な情を持って居る。
 自分等として、決して、彼等を招くことを軽く考えたのではなかったが、行為の裡には、種々な矛盾が包まれて居たのが反省された。
 若し自分が、父や母に、各々独立した人間として立場、性格、仕事を認めて貰うことを、要求するなら、又此方も、彼等に対して、為すべき其だけの義務はあるのではないだろうか。
 友達を、仮令えば晩餐に招き、急に家があったからと云って、電話一つで延して呉れと云うとは思われない。
 自分等は、他人ではない親だから、と思って、其をした
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