アノンに行きワシントン将軍の夫人が、最後に良人の墓を眺めつつ逝去したという、質素なしかも愛らしく、女性らしい寝室を見た。ひどく混雑した印刷局に行った覚もある。
「議事堂が見えて?」
自分は、身の囲りに外套を引そばめるようにして、遠い彼方の樹立を透した。
アーク燈が、静に瞬いている。自動車が探照燈のように蒼白く煙たつ強光を投げて、暗い闇に駛り去る。――
また、がらんとした待合室に戻り、売店《スタンド》で絵葉書を書いていると、急に後から賑かな足音が、入り乱れて聞えて来た。
何か喋り喋り、陽気に笑う若い女や男の活々した声が、まるで厳しい建物に落ちる歓びの流れのように感じられる。
「何なの?」
ペンを持ったなり振返って見、自分は思わず良人と眼を見合わせて微笑んだ。
結婚したばかりの花嫁花婿を、新婚旅行に送り出すために、華やかに興奮した友達の一群れが、花環のように若い二人を取繞いて来たのである。
何か囁いては、仲間の一人が、新婦の頸元に花の粉をふりかける。身を捩る、笑う、手を叩く。ひらひらする銀色のレースや飾紐《リボン》や小さい袋が、仄かな明りの裡で、宛然《さながら》お伽噺のように可愛らしい。
これほど、優しく派手な旅行の首途を見たのは、自分にとって始めてであった。
笑いながら、外套のポケットに両手を入れて眺め、自分は一寸、花粉をつまみたく思った。
十一月十九日
一夜を汽車の裡に過し、自分等は、よほど旅行に出たらしい気分になった。刻々変化する外景の刺戟につれて、神経は、殆ど生理的に一点に凝固していられなくなる。
ひた駛りに駛る鋼鉄の車室に坐って、アクティブな肉体の運動は、何も要求されない。
自分の頭には、ちらり、ちらりと、種々な思いが通り過ぎた。しかも、一つとして纏まった考えはない。
ちょうど、今過ぎて行くカロライナ州の天地が、瞬間、棉の耕地を見せ、忽ち、木造の危うげな小屋と入れ換る有様によく似ている。
相変らず、風の無い、穏やかな小春日和である。
南北に二分されたカロライナの風景は、砂の多い、光る地面と、寧ろ晩秋らしい日を吸って緩やかに起伏している樹林の色彩多い遠景、とり遺された実が白く鮮やかなために、却って一体の感じは穢れて見える棉の耕地に於て、共通している。
ぽつり、ぽつりと散在する小屋は、皆、この地方特有のサンド・ストームに倒されないために、床を高く、土台石の間は吹き抜けにしてある。
空は、いかにも暖くあおく、明るい。
赤や茶や緑や、種々な樹木は、近く見ると濃厚な色絨毯のように、遠く眺めると、ぽかぽかした雑色に、耕野の涯《はて》を区切っている。
明に、色の交響楽を感じる。自然は、やや元始的に賑やかなのを感じる。
けれども、その中に、ぽつねんと立っている泥色の黒人は、見る者に、何という寂寥を感じさせるだろう。北緯三十五度辺の、南部に近い温帯の眠さ。
不思議な物懶《ものう》さと憂鬱とが、派手な、然し透明を欠く色彩に包まれて澱んでいる。永遠の晩秋。ひっそりとした風景。
耳の長いドンキーに、沢山綿を括りつけてのろのろと黒人が影を追って行くのを見る。
北部カロライナと、南方カロライナのちょうど境界線の上にあるブラックスブルグで、始めて、停車場に“Coloured”“White”と、別にした札を下げてあるのを見た。
私共は、ポーターが持って来てくれた嵌《は》め込み卓子を中にして、話したり、地図を拡げて見たり、骨牌《カード》、ドミノをいじったりして、単調な一日を送った。
四
眠っているうちに、アラバマは通り抜けてしまったのだろうか。
どこかの停車場を出ようとする激しい動揺で目を覚し、バースの裡に起き上って窓懸けを引くと、外は、目を驚ろかす南方の風景に換っている。
最初の乗換場であるニュー・オルレアンスには、多分十時頃着く予定である。
珍しい外景に、自分は知らず知らず興奮した。そして、急いで着物を着け、良人を誘って、食堂に行った。First Call が済んだばかりで、未だ内部はすいている。静に朝日をうける窓から、ここでならゆっくり外を眺められるのである。
窓枠に区切られて、連続した小画のように飛び去る自然の、先ず植物の異様なのが注意を牽く。
カロライナ辺では、黄葉する闊葉樹が多いらしく、一目見て、秋の田野、空気と空とを連想させた。
然し、今、眼に写る植物といえば、第一、皆黒ずんだ暗緑に鬱蒼としている。葉のこまかな、幹の古さびた名の知れない大木が、雲をつくような柳の、気味悪く暖いうねりに混って生えている。
海藻のような寄生木《やどりぎ》が、灰緑色にもさもさと親木を覆いつくして、枯れ枝が、苦しげにその間から腕を延して外に出ている。
自分は、気をつけてそれ等を眺め、植物が、ここでは、何という動物的な、凄じい感を与えるか、驚かずにはいられなかった。
従来、自分の心にある植物という観念は、いつも変らない静謐《せいひつ》さ、新鮮、優しい沈黙の裡の発育というような諸点にかかっていた。ところが、こうして見る樹木ややどり木は、決してそんなに穏やかな生物ではない。厖大で、血が通っていそうで、激しく人間を圧迫する。南方の強烈な熱と、ミシシッピイ附近の豊饒な水分とが、特異な養液を根に送って、植物は皆、自身の感情と情慾を意識する動物のように見えるのである。
沼沢地が多い。そこには、底知れず蒼い藻が生え蔓っている。いかにも瘴気の立ち迷っていそうな処に、丸木を組んだ小屋がある。
チヤシを結って、木立ちの奥深く小径のついた場所もある。
日が高く昇るにつれて、自然には、云いようのない倦怠と、生活力の鬱勃《うつぼつ》とが漲って来る。この樹木と草とが、先を競って新緑に萌え立つだろう三四月頃を想うと、北方の血をうけた自分は、息の窒るような心持がした。
棉畑の中に立っては、淋しいなりに黒人も、自然を或る程度まで支配していることを思わせた。けれども、ここでは、彼等も、同じ地上に棲息してい、同じ圏境に生えているという点で、一本の大柳と、全く同様に感じられる。それほど、精神の閃きがない。あまりに官能が天地の間を満している。
北方では、精神力の欠けた、または不活溌を寒気の圧迫と見ることが出来よう。内へ、内へと追い込まれ、それが極度になると、活溌な雪消も見ないで萎縮してしまう。それに反して、南方では余りの熱や自然界の刺戟に会って、脳髄そのものが、融けてしまうのではないだろうか。毛穴が拡がる通りに、脳細胞も拡がり、流れ出す。そして、危く皮膚一重のここで止り、恐ろしく繁茂する植物のように、旺盛な官能生活に浸り込んでしまうのではないだろうか。
「ひどいものね」
その室に帰り、卓子の上に地図を拡げておおよその見当をつけながら、自分は感歎して外を眺めた。
北緯三十度。東半球でいうとちょうど埃及《エジプト》のカイロ辺と同じ線上を駛っていることになる。
気候の平穏な故国にいては、想像に於てさえも漠然としていた、ナイル河の氾濫とか、有名なロタス、パピラス、パアム等の叢生した様子が、かなり鮮に思い廻らせる。埃及人は仕合わせに、アッパア、イジプトの沙漠と石山とを持っていたために、酷熱や他の自然的運命に呑み込まれずに、あの愛すべき芸術を産んだのではあるまいか。同じ、炎暑、赤道の近傍でも、土地が高燥だと、人間の精神は殺されないですむように思う自分の考は間違っているだろうか。
メキシコにしても、そのプロダクションの種類や性質は異うが、そう考えれば考えられないこともない。
自分が熱中して喋ったり、覗いたりしている間に、汽車は、どんどんミシシッピイの瀬戸に沿うて走った。いつか山火事があったと見えて、或る処では広大もない樹林が皆焼き払われ、黒焦げの大木が、痛々しく空に立っている。
だんだんそれも疎になり、やがて我々の周囲は、東を向いても西を向いても、一面のスワムプになってしまった。北海道を嘗て旅行したとき、自分は、随分広いヤチを見た。そのときは、何という処だろうと思って動かされたが、今、ここを通ると、それが比較にもならない面積であったことを知った。
あのときのように、彼方には、堅い普通の地面があるのだという感じが、どこからも来ない。目に見える限りの地平線は、同じ光る、黄色い蘆と水溜りに浸されている。涯のない、抜け切れない、彼方の側にも、このように異様な境域が拡がっているに違いないという直覚が鋭く、心を外景に牽くのである。
どこまで行っても、どこを見ても、地面の見えない頼りなさに、感情を動かされたのは、自分等ばかりではなかった。
始めは、黙って眼を瞠っていた乗客が、誰云うとなくその広さや、列車の速力やについて、口をきき始めた。
「何という広いことだろう!」
「全くですね、然し、景色としては独特じゃあ、ありませんか」
「さあね、日本にも、こんな妙な処がありますか?」
皆の心には、一様に、このぶよぶよの、震える沼の中では、鋼鉄作りの汽車が、余り重すぎはしないのか、という、ぼんやりした危惧の蠢《うご》めいているのを感じ、自分は非常に興味深く思った。
平地や田野を駛っているとき、幾百人いるか、悉くの乗客は、一切を機関車に委せている。安心して、列車の動いていること、線路を間違えずに目的地に向って進んでいることを信じ切って抛って置く。けれども、それが、一旦、こんな場所や恐ろしい山の絶壁にでも差しかかろうものなら、眠っていた人々の意識は急に溌剌となる。無数の心が後から後から各自の体をぬけ出して、列車の前後左右を守り包むように感ぜられる。
水の上では、出来るだけ幅広く、短く、さっと渡り切ってしまうことを希い、断崖の上では、一斉に、坐席《シーツ》の上で身動きすることさえも憚って、出来るだけ、細長く、しなやかに、すらりと危い角を辷りたく思う。――
うるんだように白っぽく輝く空の下に、やや黄味を帯びた浅黄色の水面、金色のきらめく繊細《デリケート》な枯葦の上を、翼の淡紅色な鶴に似た鳥がゆるやかに円を描いて舞う光景が、暫く自分に我を忘れさせた。
五
ニュー・オルレアンスの、小さい雑駁な停車場に降りて見て、始めて、自分の心持は、長閑《のどか》な Tourist の心境と、どれほど異ったものであるかを知った。
合衆国有数の棉花市場で、一八〇三年かにジェファソンに取られるまでは仏蘭西《フランス》の植民地として、今でも或る部分には、少なからず仏国風の慣習や気分を保っているというこの市は、廻って見たら決して詰らない場所ではないだろう。
我々は、次の列車に乗込むまで、およそ六時間ほど、余裕を持っていた。若し、気さえあれば、相当に賢いサイト・シーイングが出来ない訳ではなかったのだ。
けれども、手間を取って荷物をシアトルまでリチェックし、二三日滞在する予定になっているロスアンジェルスの知人に電報を打ちなどすると、先ず自分が、神経的に精力を失ってしまった。
屋外には、紐育の復活祭《イースター》時分のように烈しい日光が照っている。
停車場の附近は一帯の黒人街で、いかにも南方の植民地らしく拱廊《アーケード》になった歩道の片側には、塵まびれの小店が、びっしりと軒を並べて詰っている。
屋蓋つきの荷馬車が、鞭で打たれるドンキーに挽かれて、後から後から凄じい勢で駈け去る車道の明るさと相反して、強い暗がりが、拱廊の奥を領している。
そのうちに、ストゥールにちょいと跨《またが》ったシャツ一枚の黒奴が、閃く眼と、古物の短銃、短刀、馬具類の金属を不気味に光らせて、行人を見守っているのである。
歩道を縫い、車道を横切って暫く行くうちに、自分は、人種が混雑し、感情と意欲が激しく錯綜した市街の空気を明に嗅ぎ知るような心持がした。それと、同時に、今の自分の心持とは、余りに懸け離れた雰囲気であることをも感じずにはいられない。
騒音や雑踏、絶間ない動揺は、もう飽きられた。どこか安らかなコオジー・コオナーに、暫くでも静に
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