て、午後は、公園や主だった街路が、散歩の人で一杯になる。閉って、飾窓だけ開けた店舗の前を、身分相当に小ざっぱりとした人が、喋り、笑いして、ぞろぞろ通る。日曜の市街は人と人とが見あい見せ合う、流行の陳列館になってしまうのである。そういうことが厭な人々は、遠い郊外に出て行く。――
この市でも、相当な人は皆郊外に遊びに出かけるのだろう。また、亜米利加《アメリカ》でも理想的な自動車道を持っているといわれるほどだから、多くの人は、いつも山や野から健康な呼吸の出来る住宅地に集まっている故か、新らしい眼で見たロスアンジェルスの日曜は、まるで、田舎者と、我々のような旅行者に明け渡された市街のように感じられた。
かなり大きな電車の発着所にも、何等かの意味で緊張した顔が満ちている。三十分か、四十分間を置いて出る電車には、皆、始めて或る処に行くというような人が積み込まれる。私共も、その中に入って、狭く雑沓した街から、次第に家の疎らな、市の外廓に連れ出された。
朝、確に通ったと思われる踏切りの近くには、たくさん日本人の顔が見える。
耕地や、なだらかなオレンジの丘、はっきりした連山の遠景などは、実に見る
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