フであった。
けれども、今朝になって周囲を見まわすと、道伴れはよほど変化している。何等かの意味で注目を牽く人が、一つ車室に必ず一人か二人はいるらしく見受けられるのである。
先ず先刻の、鼠色の絹服の婦人を始めとして、我々の背後には、眼を醒すなり、賑やかな年寄りの夫婦に娘づれの一組がいる。
丸々と肥って同じように赧ら顔の夫婦は、一見、小金を溜めた八百屋《グロサリー》の店主という位に受取れる。感謝祭の前後を、カリフォルニアの親類ででも過そうというのであろう。近所の座席から気軽に人を誘って来ては、小児のように骨牌に熱中しているのである。
けれども、髪を巻パンのように結ったお婆さんは、いくら骨牌に興が乗っても、決して経済のことは忘れない。十分位停車するステーションに来ると、持札を投げすてて外の売店に駈けて行く。そして、果物や糖菓《キャンディー》の紙袋を抱えて来て、皆に食べさせる。出来るだけ食堂に出ず入費を除いて充分に旅行を楽しもうというのである。
たださえ退屈しているところだから、窓を透して、転って行くお婆さんの後つきを見るのは、なかなか罪のないみものであった。
コンダクタアが、ちゃ
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