ては、かなり陽気な苦笑いをした。
けれども、停車場を離れ切るまで、さすがにまたとデックに立つ心持はしなかった。
六
十一月二十一日。
昨夜の脅し文句は、もちろん現実に何の形をも顕わさなかった。周囲が明るくなってから考えて見れば、その男は何心なく云った挨拶を、却って良人の方が、旅人らしい神経過敏で受取ったのではあるまいか、とさえ思われる。
今日一日は、広茫として限りもないテキサスの野を横切って暮れるのだろう。
朝、八時半頃、寝室《バース》を出て化粧室に行くと、昨夜、自分等と同じ場所から乗込んで来た婦人が、椅子に腰をかけ、しきりに何か云っては両手で頭を搾めあげているのを見出した。
傍には、連れらしくも見えないもう一人の婦人が、屈みかかって肩に手をかけ優しく労《いた》わってやっている。――
朝日がちらちらする鏡の前に立ち、顔を洗い髪を解し始めたが、一つ部屋の中に何事か起っていそうなので、何となく気が落付かない。
自分は到頭髪に手をやったまま傍によって行って、
「どうかなさいましたか?」と訊いて見た。
着物をつけず、派手なドレッシング・ガウンだけを羽織って
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