が横づけにされている。黙って大股に、車室の暗い腰羽目を幾つも通り越したポーターは、やがて一つのステップの前に立ち止ると、路を開いて、
「ここです」
と云いながら我々に入口を示した。
ステップの傍には、黒坊の給仕が、これも腕組をして立っている。
「何号の寝台ですか」
寝台券を渡すと、彼は、先に立って、我々の場席に案内してくれた。内部はまだ、がらんどうになっている。ちょうど、後の、コムパートメントに近い一隅に、私共を、一昼夜載せて駛《はし》るべきところが定められているのであった。
良人が、ポーターに賃銀を払い、手廻りのものを入れた小さいスーツ・ケースを座席の下に片寄せている間に、私は、給仕のくれた紙袋に、脱《と》った帽子をしまい込んだ。
そして、外套の襟《カラー》を寛ろげ、緩くり、夜のような燈火の下に向い合って、深い椅子に埋まり込むと、始めて六日以来の疲れを味うような心持になった。
今は十一月十八日の午後三時――多分四十分位になっていよう。十二日以前の今時分、自分は、こうやって南方に向う列車に乗込もうなどとは、夢にも思っていなかったのである。椅子の高い背に後頭部を凭《もた》せかけ、やや下眼で、後から乗込んで来る人々を眺めている彼に、私はほっとして、
「やっとこれで一段落ね」
と囁いた。
二
何処でも、大都会の外郭は、こんな風景をもっているのだろうか。
三時四十分という定刻を、殆ど一秒の差もなく出発した列車は、紐育の市中を離れると、暫く止って機関車を換えた。煤煙を吐きかけて、市民の健康や建物を害わない用心に、或る処までは電力で運転する。滑らかに軽く地下や高架橋を辷って行く。けれども或る処まで来ると、汽車は普通の石炭を焚き、シュッシュッ、ゴッゴッと駛り始めるのである。
暗緑色の場席には、疎な人影ほかない。片側には日除けが下りている。午後の静かな窓から、私共は、今迄とまるで異う小刻みな動揺を体中に感じながら、言葉|寡《すくな》く外景を眺めているのである。
鋼のように瘠せ枯れた雑草が、蓬々《ほうほう》とほおけ立っている空地に、赤錆びた鉄屑が、死骸のように捨て重ねてある。
今にも崩れそうな無人の荒れ果た小工場、真青に藻の浮いた水溜り。ちらりと、襤褸《ぼろ》の干し物が眼尻を掠める一《ワン》ブロックも占めていそうな大工場から斜に吹き下す黒煙の下で、腕ぎりのブラウズに袴の女が、拳を腰の左右に当てがい、破れた露台に立ってこちらを眺めている姿などが、カッと隈ない西日の中に、小さくはっきり、瞬間の視線を捕えるのである。
窓に倚《よりかか》り、黙って外を眺めては、折々互の工合を訊き合っている我々の様子を、若し想像して観たら、いかにも去ろうとする大都会の一瞥を惜んでいるように見えたかもしれない。
実際、少くとも私にとっては、また何時来るか分らない都市を今、去ろうとしているのであった。が、黙っているのは、その別離の哀愁に胸を圧せられたためではない。私共は、言葉に云ってはいくら喋っても喋っても喋りきれない、驚や、感慨やに心を満たされていたので、口を利けば、
「まあ、ほんとに、思いがけなかったわね」
と云うよりほかない。突然変動を起した境遇に面して我々は、声も出ないほど、全心を領されたという状態だったのである。
私共は、先月の三十日に、自分等の結婚をアナウンスした許りであった。この日の一日には、眼の廻るような思いをして、故国に送るべき書きものを発送した。その五日に、思いがけない父から、思いがけない報知を受取ったのである。
五日は、どこやら時雨《しぐ》れた薄ら曇りの日であった。自分は、種々な精神感動や、仕事を纏めてしまおうとして不自然な緊張を続けたために非常に疲れて、神経質になっていた。
ちょうど、水曜日で、大学に時間はない。家にいても仕方がないので、我々は午後から連立って歩きに出た。家は、大学の近く、幾年の昔、東京府から紐育市に贈ったという桜が、あまり見事でなく生えている公園の下にあった。芝生の小路を抜け、広い街路を横切ると直ぐ、河岸公園《リバーサイド・パーク》に出る。そこからは、目の下に、初冬の日に光るハドソン河と、小霧にかすんだ対岸の樹木、渡船場等が見える。
冬枯れ時でも、午後になると、公園を瞰下す歩道の胸墻《パラペット》近くや、公園に入る灌木の茂み、段々の辺には、無数の人が往来した。皆、ゆっくりと日光を浴び、遠い広い海のような河口から渡って来る新鮮な微風を吸い、楽しむように見える。
女や子供、年寄が多く、片足で飛び飛び一輪車を廻して来る小児、まるで動物と思えないような小犬を、華奢な鎖で引つれて、ファーコートの間から、仄かな花の香りを暖い午後の空気に残して行く婦人。
そぞろ歩きする沢山の人と色彩との
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