札口が目の前にある。木棚一重に画られたそこには、黒い顔をした大人や子供が、ずらりと首を並べて凝っと動かない列車や、乗込もうとして急ぐ旅客、威厳を繕って腕組みする同じ黒人のポータア等を眺めているのである。
故国の停車場などで見馴れる情景が、次第に自分等の心持を寛《くつ》ろがせた。
二人三人、後から来た人が内部の肱掛椅子を占める。自分は、低い声で、冗談を云い、珍らしく声を合わせて笑った。
一人の黒奴の女の子が、群を離れて此方を見ている。その髪が素晴らしい。黒く、ちりちり、おちぢれのようになった毛髪を、何としたことか「あぶ、はち、とんぼ」を三倍した位、小分けに処々で結んでいる、それも、ただ結んで止めたばかりでなく、一々先を丸めて色々なリボンをつけてあるので、下の小さい顔は、宛然、原始的な草花を山盛りに飾った素焼壺のように見えるのである。仔細らしく頭を曲げ、何か見恍《みと》れている様子は、実に可愛ゆく、滑稽である。
自分が、五つか六つで、一かど大人に感じ、唐人髷の附け髷を結って貰っては、叔母の長襦袢を引ずっていた頃を思い出し、思わず軽い冗談が、唇をついて出たのであった。
微笑を口辺に湛えたまま、片手を欄干にかけて下を覗いていると、右手の昇降口に近く立っている良人の処へ、一人の男が近づいて来た。
手真似で彼を呼び、上と下とで、延び上り、身を屈《かが》め何か云っている。
自分は、構わず工夫の働いているデックの下を見つづけた。と、急に彼は振返り、私の腕に触って、
「中へ入ろう」と促した。
「何故?」私は、良人の顔を見あげた。
「寒くはなくってよ、ちっとも」
「そうじゃあない。入りましょう、早く!」
言葉が英語だったのと、彼の表情が余り気色ばんでいたのとで、囲りの二三の顔が、怪訝《けげん》そうに我々を見較べる。
自分は黙って、彼の先に立ちデックと室内とを区切る戸と硝子扉とを押して内部に入った。
「どうなさったの?」
「今の男がね、変なことを云ったから、気持が悪くなったのさ」
「まあ、何て?」
どこからも視線の届かない奥の腕椅子にかけてから、良人は、始めて理由を話した。
先刻の男は、彼に金をくれと云ったのだそうだ。
それを断ると、暫く黙っていてから、
「どこから来なすったかね」
と訊く。何心なく紐育からだと云うと、今度は、この汽車でどこまで行くのか、あの女の人も一緒かと、拇指と横眼で、私の方を指したのだそうだ。
彼は、急に気味が悪くなった。そこへ「お体を大切になさい。御婦人づれじゃあ注意がいります」とか何とか云われ、揚句に、また、ぶらりと出て来た風体の悪い男と、頻りに此方を見い見い囁き合っているので、彼はがまんがならず、私を急《せ》き立てて内へ入ったというのである。
自分は、はっきりと、遮断された闇の中に、先刻ちらりと見た鳥打ち帽の浮浪人らしい男の姿を思い浮べた。どこかの隅から狙われていそうで、何となく心持が悪い。けれども、まさか、ほんとに何をしようというのではないだろう。
「大丈夫よ。お金が貰えなかったから、一寸面白半分に脅かしたのよ」
「そうでしょう。けれども、心持が悪いからね。貴女がいなければ、そんなことは何とも思わないが。……」
よく見る活動写真の或る場面がふと自分の眼に浮んで来た。それと同時に、切迫した不気味さは、忽ち当面から去ってしまった。
「ちょうど、夜中にテキサスに入るから、油断なさると大変よ。私が攫《さら》われでもすると、△△△氏追撃の光景でござい、をお遣りにならなければならないわ」
「馬鹿な!」
私共は、怖いにしては、かなり陽気な苦笑いをした。
けれども、停車場を離れ切るまで、さすがにまたとデックに立つ心持はしなかった。
六
十一月二十一日。
昨夜の脅し文句は、もちろん現実に何の形をも顕わさなかった。周囲が明るくなってから考えて見れば、その男は何心なく云った挨拶を、却って良人の方が、旅人らしい神経過敏で受取ったのではあるまいか、とさえ思われる。
今日一日は、広茫として限りもないテキサスの野を横切って暮れるのだろう。
朝、八時半頃、寝室《バース》を出て化粧室に行くと、昨夜、自分等と同じ場所から乗込んで来た婦人が、椅子に腰をかけ、しきりに何か云っては両手で頭を搾めあげているのを見出した。
傍には、連れらしくも見えないもう一人の婦人が、屈みかかって肩に手をかけ優しく労《いた》わってやっている。――
朝日がちらちらする鏡の前に立ち、顔を洗い髪を解し始めたが、一つ部屋の中に何事か起っていそうなので、何となく気が落付かない。
自分は到頭髪に手をやったまま傍によって行って、
「どうかなさいましたか?」と訊いて見た。
着物をつけず、派手なドレッシング・ガウンだけを羽織って
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