艪髀u間に生命を賭けて来た。今は死なない。然しこういう刹那に死んでいるかもしれない。無数の人間が殺されて行く。人類に本能的な、平安、幸福、希望の輝を皆圧し伏せて、恐ろしい、惨忍な光景に眼を据え、手足も抗し得ず“No man's Land”に流しこまれる心持は、堪らないものだろう。
 肉体が弾丸に射られ、刺される前に、先ず精神があらゆる虐殺を受ける。一方からいえば、肉体の苦痛、感覚的な苦悶というようなものは、極度に達すれば、意識を不明にさせる点で凌ぎ易いものだ。然し、心の苦しみは、死ぬまで持続する。今、死ぬか? 今死ぬか? しかも死なないで、また一日の、暗い、底の知れない不安が新たになる。或は、死ぬまで、死ぬことを忘れて、深い、愕《おどろ》き怪しみ、考えても考えても判らない憂鬱に噛まれているといった方がよいのかもしれない。
 そういう恐ろしい集注、力の凝結が、一旦平和によって解放されたときを想うと、嬉しいというより先に息の塞がる思いがする。
 一どきに撥ねかえった精力や熱中や、あらゆる場合に自分の生きている力を試したい活力が、彼等を狂暴にさえする。
 戦時の、いい難く深い陰鬱や、惨虐な記憶を洗い去るには、それと同量の情熱が必要なのではないだろうか。大抵の場合、彼等は夢中で恋をする。
 今度の欧州戦乱で、英国フランス白耳義《ベルギー》その他から“War bride”として紐育の埠頭に著いた婦人の靴だけでも、夥しいものであった。
 デスペレートな点では、女性も同様であったのだと思う。彼女等は、殆ど皆胸に当歳の嬰児を抱き、粗末な風で甲板に並び、愛嬌の微笑と動揺する不安とを外国人らしい瞳の裡に湛えながら、写真にとられているのである。或る場合、人間のする恋は、環境と動機の悲痛さから、眼もあてられない感を起させる。
 ――もちろん、彼の若い母が、仏国から来た人でないことだけは、顔の様子でも明に分っている。けれども、背景にこれ等の忘れ難い印象をもって看るためか、彼等三人が一塊りになり、揺れる座席の間を釣合をとりとり通り過るのを見ると、身辺から、無数の人群と生活とが見徹せるように感じた。

        七

 二十二日一日を、ニュー・メキシコの一部とアリゾナの砂漠に送り、自分は始めて、砂漠が、如何程微妙な美に満ちているかを知った。
 日本にいて砂漠というと、自分はよくゴビの砂漠とい
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