か云い抗らって母を激昂させた。自分は、十六で、この女が母を殺すと思ったのであった。
 六七時間も地獄のような絶叫で家じゅうを震わせてから、やがて急にぴったりと四辺が鎮り、平和な、安息が流れ出した。
 母は死ななかった。もう一歩のところで生命を二つながら取りとめ、深い深い感謝を夢の心に湧立たせたのであった。
 けれども、さいわい、彼女の体躯が普通より大きかったばかりに生きられたほど、多量の血液を失って、母は、後、激烈な神経障害を受けた。
 あのとき、若し自分が傍にいて、煩瑣な家事を皆引受けてしなかったら、母はどんなになっただろう。
 考えて見ても恐ろしい。
 それが、今度は、さけ難い状態として彼女の、たとい安全には済んでも、容易でないに違いない出産の予後に控えているのではないか。
 自分がいないばかりに、母を死なせるのは堪えられない。それは、私の、真実な誠意であった。
 自分がいさえすれば、助けになることのあるのは知れきっている。彼女の安全の度は多量に増す。それを知りつつ、自分の延びても僅かな楽しみを偸《ぬす》むのは実に安らかではない。――
 長い沈黙の後、私は、うるんだ声で、然しはっきり、
「帰った方がいいと思うことよ」
と云った。
「私共は、金さえあれば何時でもまた来られる。けれども……お母様の命は、一つほかない」
「うん……私もそう思っていたところだ。その方がよかろう」
「そうするわ。……」
 種々な感動が入り乱れて、私は涙を止められなかった。自分が着くまでに母は死んでいやしまいかという危惧、種々な想像の不吉な予感、また、自分達の、始まったばかりの優しい暖い生活と引離れる辛さ。
 私は、心が二つにひきちぎれる心持がした。
 大学の仕事の都合で、良人が一緒に帰られないのは、云わないでも分っている。
 仕舞に、私は、涙が全く神経的に流れ出すのに心付き、
「大丈夫よ、神経だから。大丈夫よ」
と、かまわず、必要な相談を始めた。
 もう夜が更け、一二時になり、森とした家々を超えて、高架電車の駛る音が、寂しく機械的に耳に響く。
             ○
 翌朝、自分達は着物も着換えないうちに、汽船会社に電話をかけた。
 ハワイの方を廻ってもよし、来た通りでも仕方がない。
 早く日本に着きさえすればよい願で訊いて見ると、東洋汽船では、一月の下旬に出る船にほか空がないという
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