、出来るだけ少く身動きをするように正坐し、その日は久しい間文学的才能とか、文学的教養とかいうものとそのひとの社会生活における、実践との間にある活々した関係について考えた。丁度そのことのあった前に、チラリと新聞で「ナップ」解散の報道を瞥見《べっけん》したばかりの時であったし、誰かからもっとはっきり状況についての説明を聞くということも不可能な環境であったから、実際の生活からとびこんだ小さい例証も、関心の中心に在る問題とむすびつくのであった。
 チェホフ全集の広告、ジイド全集発刊の広告。それらも、やはりこの前後に、手にとることは出来ない新聞の上で見た。チェホフ全集が出ると知った時、自分はチェホフがその手紙の中で、小商人の伜として育った自分はいくじなく頭を下げる癖を克服するだけにでもどれほど闘ったか知れぬと云う意味のことを書いていたのを計らず思い出した。また、帝政時代のロシア・アカデミーがゴーリキイを一度は会員として決定しておきながら、ゴーリキイが政治的注意人物で、室内監禁をうけたりしたことがわかったら、あわてふためいて決定をとり消したことがあった。その時、そのようなアカデミーであるならば自身が会員であることをも寧ろ屈辱とすると云ってアカデミーをゴーリキイとともに去ったチェホフ。そういうアントン・パヴロウィッチ・チェホフの面を、こんどチェホフ全集発行の任にあたるひとは、現代の状勢にあって、どのように評価しているであろうかとも考えた。日本にも文芸院とかいうものが警保局長の手でこしらえられるというより合いの時の写真を見て、わたしはこのチェホフとアカデミーとの歴史的関係をまざまざと思い起したのであった。
 その実際を知ればしるほど非人間的な条件の深刻さがわかるような生活の連鎖の中で、母に対する自分の心持が変化をうけるようなことが起った。三月になってからであったか、或る日、風のたよりに宮本がひどく病気であるという噂のあること、だが何処に置かれているのかさがしても所在不明であるということが、わたしの耳にはいった。
 わたしは、そのことを知らなかった前と全く同じように、次の日も朝は僅々二尺四方ばかりの冬の日向に立って五分間体操をやった。乾いた手拭で裸の胸をこすった。弁当をもくった。一人の牛盗人に向って帳面をひかえた警官が、どうだ、お前金歯があるか? 口をあいて見ろと云い、ふむ、したない
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