なかった。ただ、幾人もの姉弟の中で、たった一人自分だけ姓がちがい、自分だけに絶えず注目され、彼としては意味ののみこめない責任を感じさせられて育っている余り俊敏でない少年の感情の鬱屈が、母には分らなかったのであった。死ぬ前日、急に意識がはっきりしたとき、この弟は母に、
「僕、ほんとうにお母様の子なの」
と訊いた。母が涙を落しながら、そうだとも! どうしてそんなことを訊くのと云うと、
「そんならよかった。うれしい」
と溜息をついた。そのことを、後から話して母は激しく泣いた。そして、
「道ちゃんを中村家の後つぎにするという話があったときだって、私は気がすすまないでね、何度もおことわりしたんだけど、恰度おばあさまがいらしてその話の最中に、どういう工合だったのか真白い鳩が飛び込んで来て神棚へとまって行ったんでね、到頭私も道ちゃんをやる決心をしたんだけれど……可哀そうに」
とかこった。
一ヵ月ばかりしてから、私はこの弟が殆んど敵意を示して誰にもさわらせず、自分の中学生らしい勉強机の傍に置いていた小棚を、非常に複雑な好奇心と恐怖とをもって、そっとあけて見た。中からは、桃谷にきび[#「にきび」に傍点
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