ょう、ね。国ちゃん達を呼んで来て頂きましょうよ」
と云うが、おばあさんは低い声ながら、
「折角出かけたからには行って見べし」
と、程なく自分から立って帯などをしめるのであった。
 上戸《じょうご》という駅で私たちは汽車を降りた。朝から曇っていたところ汽車を降りたら雨が細かく降り出している。二間ばかりの掘割があって、往来の左右に柳が茂っている。バスケットなど下げて湖の畔まで歩いて行くうちに、雨は本降りのようになった。湖畔にひとを泊める家は一軒しかないらしかった。ほんとうの田舎宿で、上り端の埃だらけな板敷の隅に南瓜《かぼちゃ》がどっさり並べてあった。キシキシと暗い段梯子をのぼって天井の低い二階へあがると、すぐそこの部屋に黄色い髪をした女の西洋人が若い日本の女と乱雑な荷物の間で何かしていた。水の入ったブリキの大きい盥のようなものが煤けた畳の真中に出ている。狭い廊下の通りすがりに私共の目にちらりと入ったその光景は、場所が南瓜のころがったりしている穢いところだけに、何だか異様な感じがした。
 その隣りの部屋に私たちは泊ることになった。さて、窓に肱をかけて、私共は雨の中をおばあさんと一緒に辿りついた猪苗代湖の面を凝《じ》っと眺めわたすのであったが、水の色も空の色も同じに濡れた薄灰色で、遙か対岸の山まで煙っている景色は、湖面が広々としているだけに、とらえどころなく思われた。雨脚は目に見えているのに、湖に近いそこは砂地なせいかあたりに雨だれの音さえしないのも、気分を沈ませた。私は早熟な感情で、田舎宿の様子や隣室の西洋人の女の暮しぶり、雨の湖の風景などを眺め味わおうとするのであったが、弟たちは窓に二人並んで物も云わず、簡単に降りこめられた姿である。
 暗くなってよっぽどしてから、五分芯の台ラムプが下から運ばれて来た。夕飯の膳には南瓜と、真黒で頭の大きい干魚の煮たのとがついた。なかなかむしれず、箸でたたくといかにも堅い音がする。ほら、こんな音がする、と私共がかわり番こにその黒い干物の煮つけをたたいていると、おばあさんが、自分のお膳にもついている同じ魚を皿ぐるみ手元にとってとう見こう見していたが、やがて、
「なんだべ……鯰でねえかしふア」
と云ったので、私や弟たちは宿について初めて、ランプの灯の揺れるほど笑いこけた。

 夜があけてみると、同じ曇りながらも夜のうちに雨があがって翁島の方も見晴らせ、涼しい朝風が吹いている。私と弟たちとは、雨のために表面だけ薄くかたまったような湖畔の砂の上を歩いて行った。時々ふりかえって手を振った。宿の二階の窓から、おばあさんが顔を出してこっちを眺めているのであった。
 その辺は、湖のまわりに農家がまばらに在るきりで、樹のふっさりとした茂みの下に小舟が引上げられているのを見つけ近づいて見ると、底が朽ちていて、胴の間を抜いて砂地からの雑草が生えている。湖のそばだというばかりのさびれた在所なのであった。
 私共は何か湖へ来たらしい面白さの種をさがすような気持で、その辺を所在なくぶらついた揚句、湖へ掘割の水が流れ入る堰の上へ出て行って見た。そこからは湖心へ向って五六間の細長い石畳みの堤が突き出ている。
 私はぶらぶらとその突ぱなのところまで行ってみた。そして湖に向って腰をおろし、足をひろげるようにして下を覗くと、底まで蒼々と透きとおった水の中に三四寸の小魚が群をなして泳いでいるのがはっきり見えた。底の方を泳いでいる魚や石ころは黝ずんで見えて、その辺の水の深さと冷たさとが感じられる。
「ほら、ほら、何かつかまえたわ! 見える? 右の方へ行っちゃった!」
「随分小さいのもいるね」
 私と上の弟とは並んで腰かけ、砂へ左右の手をついて上体を折りまげ水をのぞきこんで眺め興じたが、気がついて見ると次の弟だけ一人離れて、その突堤のずっと手前のところに立ってこっちを見ている。我々のいるところからは三間たっぷり離れていて、汀に近く、そんなところに立っていたのではとても水の底の小魚は見えないのであった。私は振向いて、
「道ちゃんおいで」
と手招きした。
「魚がいるよ」
「ウン」
 間をおいて思い出してはふりかえって、二度も誘うのに動かないので、
「何故来ないのさ、おかしなひと!」
 私は思わずむっとした声を出した。この弟はよく私に対してこういう態度のことがあった。私はいやな気持で黙ってしまった。
「道ちゃんおいでよ」
 穏やかな口調でやがて上の弟も誘った。それでもなお同じところから一歩も近づかず、次の弟は暫くして独言のように呟いた。
「姉弟《きょうだい》だって仲のいいのは小さい時だけで、大きくなれば何をするかわからない」
 私はむっとしたさっきの気分のつづきで湖面へ顔を向けたままであった。が、だんだん弟の云ったことがその場所と自分たちの姿勢とに
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