ままだった。
 高窓のところによりかかって、溢れそうにいっぱい注いだ茶わんへ顔をもって行って、高い音をたててお茶をすすり、頬をピクリピクリとさせながら、よく面白くなさそうにひとり言を云っていた。その頃四十越したぐらいの年配だったこの下島のおじさんには、男の子がいて、中学生だった。俊ちゃんと云ったその子は、祖母のいた開成山で育っていた。下島のおじさんは明治のはじめ頃、大学の農科を出て大変ドイツ語がよく出来た。ドイツへの留学生を選抜するため農商務省でドイツ語の論文をかかせられ、一等になって、もう旅券が下りるというとき、あれは下島にしては出来すぎだ、兄が論文を書いたのだろうという中傷が加えられた。そして、二等だった誰かべつの人がドイツへ行った。下島のおじさんはそのときから、人間は信用できない。働こうとすれば世間が働けなくする、といって、もうどこにも勤めず、甥である父のところに寄食していた。
 台所の高窓のところで、茶をのんで、ひとりごとを云っている下島のおじさんのそばによって、ピクつく頬を下から見上げていると、黒木綿の羽織のあたりの脂くさいような煙草くさいにおいがし、可哀そうなような、こわい
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