ネか、いい景色だよ」
「お父さま、すみませんね、おひとりで……」
多計代にはめずらしい愛嬌だった。
「いいわ、お父さま。いまにそっちへ行って、お父様もサンドウィッチにしてあげるの」
そういうのはつや子だった。伸子は、笑って何とも云わなかったが、父のよこにねることには、伸子だけのはずかしさがあった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ立って来る前、もうそれは十二月にはいってからの東京の寒い夜のことだったが、泰造は風邪気味だといって早く床にはいっていた。その枕もとへ行って、伸子は朝鮮銀行のことか何かきいた。用事がすんでも話していた伸子が、この部屋、思ったよりさむいのね、と云ったら、泰造は、何だ、座蒲団もしいていないじゃないか、ここへおはいり、さ、いいからおはいり、と夜着の袖をもち上げて、そのなかへ伸子をいれた。そして、こんな手をしている、とひやひやになっている伸子の丸くなめらかな手を、あったかい自分の両手の間にはさんだ。さ、もっとよくはいってあったまりなさい。泰造はそう云いながら、行儀よく着もののなかで膝をそろえて横たわっている伸子の脚に、自分の片脚をからめて、ひきよせるようにした。それは、全く自然な父親の情愛のしぐさであったけれども、同時に、男のしぐさでもあった。伸子は、その瞬間に感じたつよいはずかしさをいまでもおぼえていた。父は無邪気であり、自分は、結婚生活を知っている年かさの娘として、無邪気でなかった。そういう自分を伸子は忘れないのだった。
つや子がわかれて泰造の寝台へ行き、多計代は伸子と夜がふけるまで話した。話しにでることは、どれもこれも船の上でのことだった。それほど心がとけても、多計代は保については姉である伸子にかたく唇と心とを閉して、ひとこともふれようとしなかった。
四
ごたついた佐々のうちの一行にとって、皮肉なほど似合いのホテル・アンテルナシオナールでの生活がはじまったとき、伸子に思いがけない困難を感じさせた第一のことは、みんなの一日の行動のプログラムを組み立てるという仕事だった。
多計代の疲れは見た目にもあらわで、多計代が、できるなら食事もホテルの室でとって、安静にしていなくてはいけない状態であることは、あきらかだった。そのために、つや子のほかの、誰かうちのものが、多計代についてホテルにのこっていなければならなかった。つや子が十三の少女だということも、一行のプログラムを一層複雑にした。ヨーロッパの習慣で、つや子はまだ親たちの表だった社交の生活には加えられなかった。泰造と多計代、和一郎と小枝、素子と伸子と、それぞれの組にわかれて行動しようとするとき、一人ぼっちでのこされなければならない少女のつや子は、和一郎と小枝の組か、さもなければ素子と伸子の組か、どっちかにくっつかなければならなかった。二人一組の大人に、子供であって子供でない年のつや子が附属すれば、自然その組の行動は、その条件にしたがえさせられることを意味した。
和一郎と小枝、素子と伸子の二組は、かわりばんこにそういうふたとおりの条件に支配され、佐々のうちのものがパリについてから、和一郎たちにとっても、まる一日が自分たち若夫婦の自由につかえるという日がなかった。このことは、永年思いあっていた従兄妹同士の新婚旅行であるパリ滞在について、和一郎と小枝の深い不満になった。小枝は、だまって、困った顔でいるのだけれど、和一郎は、
「パリへ来てまで、こんな思いさせられるなんか、僕ごめんだ」
言葉に出して、伸子に云うのだった。
「小枝だって、ちゃんと、いやですって云えばいいのに、いつだってぐずぐずなんだもの」
「だって、お兄さま、そうはいかないわ」
姪であったときと、嫁という立場におかれたいまとでは、和一郎と小枝との間にある感情そのものにも複雑さがましているのであった。
伸子は、和一郎の不満、小枝の困惑を、自分の困惑に重ねてうけとった。一週間、十日のことならば、毎日ヴォージラール街のホテルから親たちのいるディエナまで通って来て、一日の三分の二をそこでの必要をみたすためにつかったとしても、何とかなった。どうせ、うちのものと落ち合うために来ているパリなのだったから。そして、伸子は、マルセーユへみんなを迎えに行った晩、一人でのって行く夜汽車の隅で決心もしたのだから。とにかく、うちのものの必要のために役立つものであろう、と。泰造と多計代とは秋の末までパリとロンドンで暮そうとしていた。その上で、和一郎と小枝がヨーロッパへのこることになるかもしれなかった。しかしそれは未定で、泰造と多計代の考え次第でどうなるかわからないことだった。親たちの考え次第でどうなるかわからないというその事情が、和一郎をよけいにいらだたしくしているらしかった。
ヴォージラールのホテル・ガリックの屋根裏部屋の露台に出て、パリの夜空に明滅するエッフェル塔のイルミネーションを眺めながら、
「うちのものの状態は、思っていたよりわるいわねえ」
ディエナからおそく引きあげて来た伸子が素子に訴えた。
「あのひとたちのところには、なんだか、わたしにわからない感情のもつれがあるわ」
素子は、だまって考えていたが、
「とにかく、あっちはあっちで、もう少し自律的にやって行ける仕組みを考えなくちゃいけないね」
家族的な感情の沼から、伸子を扶けてぬけ出させようとするように素子が忠告した。
「そのことね。父は、あなたが見てもわかるでしょう? ちょっと、まあよろしくやっていてくれ、という風だわ。くたびれたのね」
「若い連中と、事務的にうちあわせておく必要があるよ、ぶこちゃん」
その日、夕方早めにホテルへ帰って来た小枝と二人で、伸子は、パリへ来てはじめて招待の晩餐に出かけようとしている多計代のために、裾模様の着物をそろえ、丸帯をしめる日本服の身じまいを手つだった。泰造と多計代が迎えの自動車で出かけて行ってから、和一郎、小枝、つや子と伸子、素子のかたまりは、リュクサンブール公園のそばの中華料理店へ行って食事をした。
ベルリンやパリの日本料理店が、主として日本人だけあいてにして店をひらいているのに反して、パリの日本人の間に知られている三軒の中華料理店は、上、中、下にわかれたそれぞれの範囲で、パリにいるいろんな外国人やフランス人の客で繁昌しているのだった。
店のものは、伸子たちのような日本人の客に対してはごく事務的だった。必要以外の口はきかず、愛嬌らしいまなざしも笑顔も示さなかった。それは、リュクサンブール公園のなかですれちがう幾組かの中国学生たちが、ひとめで伸子たちの一団を日本人と見わけた瞬間、彼らの間をとおりすぎたある空気と同じものだった。その空気は、日本人一般に対しての批判と非難を示すものであり、パリにいる中国の青年たちにそういう感情をもたせるのは、日本軍閥の満州侵略であり、第二次、第三次山東出兵であり、済南で行った日本軍の残虐行為のためだった。数百名の共産党員を銃殺し、労働者のストライキを弾圧しながらハルビンでソヴェト領事館へ侵入したり、東支鉄道の幹部を逮捕したりしている南京政府に対して、フランスにいる進歩的な中国青年は抗議していた。フランス共産党ばかりでなく各国の共産党が、南京政府に対して抗議していることを、伸子はこまかい本文はよめない「リュマニテ」の見出しで理解するのだった。パリにいる中国青年の抵抗は、中国解放を殺している二つの勢力に向けられているわけで、その一方に、南京政府があった。他の一方に、中国を植民地としている帝国主義の国々の一つとしての日本があるのだった。
伸子は、その夕方、和一郎、小枝、つや子を自分たちに加えた五人づれで、気持よく爽やかな日暮れ前のリュクサンブール公園のなかを歩き、ソルボンヌ大学附近やこの公園の中では特にゆき合うことの多い中国青年たちが、素子と伸子二人のときより、あらわな侮蔑を示して通りすぎるのに心づいた。伸子は、それをつらく感じ、また当然と感じ、彼らに同感もするのだった。小枝の、自分というものさえはっきりつかんでいない優美さ。どこから見ても、人生の何かのためにたたかっているものとは見えない和一郎の、おっとりしたものごし。そこにまざって、歩いている伸子や素子が、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から来ていて、社会主義の社会について何かを知り、解放の意味の何かを実感していて、パリの中国青年たちは知らないどっさりのけなげな中国の娘たちを、孫逸仙大学の留学生として見知っているというようなことは、彼らのひとめ[#「ひとめ」に傍点]にはわかりようないことだった。伸子たち一団がまきちらしながら歩いているあらわな階級性、それは、小枝や和一郎が全然無意識であるにしろ、中国解放の味方でもなく、日本の人民の味方でもない日本の階級を感じさせるにちがいないものだった。
伸子は、そのことによって苦しむ自分としての階級の意識を自覚し、同時にまた、そういうこころもちだけをとりだして傷つけられている自分の、ひよわさ[#「ひよわさ」に傍点]をも意識するのだった。
日貨排斥が行われている上海へ、カトリ丸も寄港したわけだった。船客たちの多くは、上海の競馬とか、日本で見られないキャバレーとかいうことで、この都市を知っているわけだった。
「どうした? みんなもあがったの?」
伸子がきいた。
「わたしは、お父さまのおともで、ちょっと買いものをしに上陸しただけ。――お兄様は、あれでも五六時間、あっちこっち御覧になったんじゃない?」
「僕は、西川さんのところによばれていただけだ――歩かなかったな」
カトリ丸の船長は、シャンハイの市街見物に、制限を加えたらしい話だった。
それにつけても、小枝は、寄港地ごとに、上陸する、しない、でもめた四十日の船旅が思いかえされる風情で、
「ナポリのときばかりは、わたしもつくづくお父様がおかあいそうでたまらなかったわ」
楽しいはずの旅がみんなに辛かったことを惜しむように云った。腕をからめて歩いている伸子を自分の方へひきよせるようにして、つや子がささやいた。
「お父様、デッキの上からナポリの街の灯を見て泣いていらしたの」
「お父様、前のときは、イタリーへ行らしたでしょう。ですものなお更ねえ。ナポリって、ほんとにきれいそうなところだったのに」
その美しいナポリへ、印度洋の暑さで弱った多計代は上陸できなかった。多計代が船から動けないために、和一郎と小枝の上陸も、ごたついた。和一郎、小枝が、食卓仲間に誘われてやっと上陸し、やがて午後おそくなってつや子が同じ年ごろの少年少女と一緒に船医につれられて上陸した。わざわざミラノから案内のために出向いて来てくれた人があったのだけれども、多計代が動けないために泰造もとうとう船にのこる決心をしてしまったというのだった。
ひどくもんちゃく[#「もんちゃく」に傍点]したのが、父に気に入りのナポリだったということが、伸子を悲しくさせた。
「だってまさか、どこでもそんな風じゃなかったんでしょう」
「印度洋のはじまりまではずっとましだった。コロンボで仏牙寺見物のときなんか、僕はへばっていたのに、おっかさん、ひとりではりきって百マイル以上ドライヴしたりした」
「ナポリのときは、あれは特別だったのよ、お兄様」
小枝が半分は伸子にそのときの事情をきかせるように云った。
「ほら、あの日は午前中に佐伯さんのことがあったでしょう? お母様、たいへんだったんですもの」
船の上では、その前日、退屈まぎらしの仮装舞踊会が催された。そのとき酒井という若い夫人がボーイ・スカウトに仮装して好評だった。ナポリへ着く日の午前ちゅう、映画をとるからというので、多計代をこめた数人の夫人たちが下甲板に招待された。小枝もおともで行ってみると、酒井夫人がきのうのボーイ・スカウトの仮装で出て来ていて、その夫人を中心に、イギリスへゆくために乗船しているボーイ・スカウトたちをフィルムにおさめるのだった。多計代その他の夫人たちは、その見物にかりだされ
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