潤A1−7−82]ンヌの色調を思い出させた。シャ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンヌがこのんだ、しずかなその諧調は、こうして旅してみればフランスの自然がその中に生きている色だった。優雅な、ほとんど清楚と云っていいフランスのこの自然色は服地にもつかわれて、東京にあるフランス人経営の中学校の制服に同じ系統の色が用いられていた。保が、その学校の一年生になったとき、伸子は、少年の制服のそのしゃれたフランスの色をこのもしいと思って見た。
フランスの自然の主調であるこの色は、またフランス陸軍の色でもあった。そこでおそらくこの優美な色調は地物の色とよばれ、掩護色と云われる種類のものでもあるのだろう。
車窓のそとは次第に暗くなって、やがて一直線にマルセーユに向って走っている夜行列車の窓ガラスには明るく車内の電燈が映るようになった。
ほんとうは、自分一人がこんなにして夜汽車でマルセーユまでうちのものたちを迎えに行くようになるとは、伸子は考えていなかったのだった。
伸子が素子と暮すようになった五年このかた、素子と多計代との間には双方からの根ぶかい折りあいのわるさがあったから、佐々のものがフランスへ来るからと云って、伸子は、素子にも迎えに行ってほしいとは誘いかねた。しかし、素子もマルセーユという港町そのものには興味があるかもしれない。もしかしたら、素子らしく、埠頭へ迎えには行かなくても、マルセーユ見物にだけは一日ぐらいつきあって伸子とパリを立つ気があるかもしれない。伸子はそんなふうに思っていた。増永に会って、七月一日に着く佐々の一行を迎えるうち合わせをしているとき、わきにいる素子は、マルセーユという港町への興味さえも示さなかった。
「こうやって、ホテルまで手配してあれば、ぶこちゃん、心配いらないさ」
そう云ったきりだった。
「マルセーユを見る気はない?」
「――まあ、親子水いらずの方が無難だろう」
リオン停車場へ送って来た素子は列車の窓ごしに伸子に向って云った。
「せいぜい気をつけて行って来なさい」
増永の気持についても、伸子の思いちがいがあった。増永謹と佐々泰造との親しいつき合いから、息子の修三が、父の親友の一人である泰造のために、マルセーユくらいまで行くのかもしれないと、伸子は、思っていた。ところが増永修三は、伸子のためにマルセーユまでの切符をととのえて届けるというとき、
「ほんとうは、僕もお出迎えに行かなけりゃならないところなんでしょうが、手のはなせないことがあるし、御婦人だから、却ってお邪魔だといけませんし……」
とつけ加え、世間で秀麗と云われるような顔で笑った。なにげなく礼をのべてあいさつしながら、伸子は、彼の小さい笑いに傷つけられた。単純に、失礼します、と云われた方が伸子としてはこころもちがよかった。フランスで、言葉の自由でない若い伸子に日本の封建的なしきたりを口実に、女だから、男のつれは迷惑だろうというのは、すじが通らず、女として侮蔑された感じだった。伸子が気づまりでないようにという親切があるなら、別の座席で、伸子に関係なくマルセーユまでゆくこともできないことではないわけだった。
社交人らしく、自身のスマートさを大切にしているらしい増永とすれば、マルセーユで船からぞろぞろとあがって来る佐々泰造はいいとして、多計代、和一郎、小枝、つや子という一家総勢の姿を想像しただけで、その相伴にあずかるのは気の毒な自分を感じるのだろう。
佐々の一行が家じゅうでパリへ来る、ということのなかには、たしかに誰の目にも何か度はずれなところがあった。金もちとも云われない階級の佐々一家が、何のために家じゅう、小さい娘までをひきつれて、外国へ来るのか。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でその通知をうけとったときから、娘の伸子にしろ、こんどの思いたちのなかにどことなく自然でないものを感じつづけている。パリで、一緒になってからの生活が思いやられて、伸子はそれまでに自分と素子とのパリでの暮しの根じろをきめ、ごたついても崩されない自分たちとしての生活感情をとおしておきたいと一ヵ月も前にパリへ来てその準備をして来た。いよいよみんなが七月一日にマルセーユにつくとわかったとき、伸子は、人知れぬ深い息を胸のなかにためて、そっとそれをはきだす思いだった。
娘である伸子の、それを重荷としていることをかくそうとしないそぶりは、素子はもとよりのこと、増永修三にも、パリへ来かかっている泰造や多計代を厄介に感じさせるたすけとなったかもしれなかった。
外の景色を眺める気晴らしもなくなった夜行列車のひとすみで、伸子は、はるばる日本から来るうちのものを、こういう気分で迎えようとしていることをやっぱり悲しく感じた。これには自分の責任もある。伸子はそうも思った。何がどうであるにしろ、父も母も、うちのものみんなは、パリにいる伸子というものを心あてにして四十日の航海をして来ているのだった。あしたはたった一人で出迎える自分として、できるだけ賑《にぎ》やかに、みんなを迎えよう。伸子はそう決心した。
翌朝、九時すこし前というのに、もう暑いマルセーユの波止場で、タクシーからおりたった伸子の腕には、大きな花束が抱えられていた。そのほか、グリーンのリボンでぶら下げられている、ふざけた顔つきの青びろうど製のむく犬。同じようにバラ色のリボンにつられて、薔薇の花びらを重ねたように華やかなスカートをふくらませているフランス人形。そんなものが女学生っぽい伸子の身のまわりにひきつれられている。埠頭には、船腹に赤錆を出した、見っともない船が一艘《いっそう》横づけになっていた。パイプをくわえた波止場人足が多勢、ぶらぶら仕事のはじまるのを待っている。その辺に出迎人らしいものと云えば、ひさしの人に金モールでホテルの名をぬいだした丸形帽をかぶったホテルの案内人が二三人いるぐらいのものだった。伸子は、てっきり埠頭がちがうと思った。そこにはいっている船はどうみても貨物船だった。伸子は、万一そういうことになってはと思って、わざわざホテルの帳場へ玄関番をよんで、タクシーの運転手にカトリ丸の着く埠頭へ行くようにというようにたのませたのに。――
タクシーからおりて、埠頭のよごれた小さい船を見たとき、伸子はすぐ、わきにいたオヴァー・オールの太った人足に、
「これ、カトリ?」ときいた。
「ウイ・ウイ」
花だの人形だのを腕からぶらさげた伸子は、まっすぐ船腹の真下まで行って、また心配そうに、
「これ、N・Y・Kライン。カトリ?」
ときいた。パイプをくわえた大男の労働者は、伸子の様子を見おろして、興がったような同情的な笑顔になった。
「ヴォア・ラ・マドモアゼール。カトリ!」
とまっている船の方へ片手のひらを上むけに大きくふりながら、その上甲板を見上げた。
手ぶりにつれて見上げると甲板と甲板との間にはさまれたように馴れない目に見わけのつかない、いくつもの顔が並んで、波止場を見おろしている。
伸子は、その人の姿の間に、日本服を着た女の上半身を認めたように思った。それは、多計代でも、小枝でもない、別の日本の女のひとだった。しかしそれで元気を得た伸子は、一心に首をもたげて、横歩きしながら上甲板の端から見えている一つ一つの顔をしらべて行った。あるところへ来たとき、いきなり伸子は全身で爪立って、花束を大きく左から右へ、右から左へとふりはじめた。父の泰造が見つかったのだった。つづいて、つや子がわかった。小枝もいる。母が見えた。そして、和一郎も。
船の上でも、まばらな波止場人足の間にぽっちりと一人まじって、花束をふっている伸子を見わけたらしかった。そこにざわめきがおこって、泰造が盛に帽子で合図をはじめた。つくん、つくん、とび立つような子供らしい手のふりかたで、つや子があいさつをよこした。多計代も和服のたもとをひるがえして高く手をあげた。
それにこたえて、伸子は花ばかりでなく、こんどは青い犬ころと人形とを、ゆるく大きく、輪をかくようにふりまわしはじめた。船の顔々がそれを見おろして笑っているのがわかった。伸子も、笑いながら、
「みんなの顔が見えることよウ」
と叫び、ますます陽気に犬ころと人形とをふるのだったが、そうやって賑やかに笑っている伸子の眼のなかには涙がにじんだ。
何という多計代の変りかただろう。伸子が東京を立って来たころは、いつもふっさりと結ばれていて、多計代らしい派手ごのみだったひさし髪は、ひきつめられて前がみのほとんどない、髪のゆいぶりにかわっている。白粉《おしろい》こそ刷かれているようだけれども、黒い陰気な光線よけレンズに眼はかくされ、さだかでない視線のなかにいる伸子に向って途切れがちに手をふっている肩はやせて、衣紋《えもん》の正しい夏衣裳は骨だって見える。
多計代は変っていた。その多計代が、インド洋をとおってフランスまで来た。この事実は、伸子に同情以外のすべての感情を忘れさせた。
伸子は、泣きそうで喉をぴくぴくふるわしながら、船の上から見ている人たちへ向けている顔の笑いは消すまいと努力して、なおつよく花束や犬ころをふりつづけた。
上甲板に見えていた泰造がいなくなったと思ったら、やがて誰もいない中甲板の手すりのところに彼の姿が再び現れた。近眼の伸子にも、そこまで近づいた父親の顔は手にとるように見わけられた。泰造は、帽子をふり、伸子を見、笑って、そして泣いている。泣いて、笑っているその父の顔を見たら、伸子は、上甲板に向って花束や人形をふりながら、足もとがよろつきそうなこころの激動を感じた。泰造の表情は、保が死んでからの動坂のうちの生活が、みんなにとって、どんなものであるかということを伸子にさとらせたのだった。
渡橋《ガング・ウェー》のとりつけられるのを待ちかねて、伸子は船へのぼって行った。
二
トロカデロの広場から、トウキオと名づけられているセイヌ河岸へ出る間にあるディエナ通は、役所町じみたしずけさで、プラタナスの繁った歩道の左側に、古くさく、イルミネーションつきのホテル・アンテルナシオナールの車よせがつき出ている。
おそらくこのホテルは、エッフェル塔がトロカデロに建てられた一九〇〇年のパリ大博覧会のころ、各国から集って来た各種各様の客のために国際《アンテルナシオナール》という名をつけて開業されたにちがいなかった。ここがパリへ来る日本人の一時の定宿のようになって、ホテルの数少い召使たちが、日本の男の浴衣《ゆかた》がけの姿にもおどろかないような風になったのは、いつごろからだろう。ホテルに近いセイヌ河岸にトウキオという名がついているところをみれば、それはヨーロッパ大戦以後のことらしかった。ディエナ通がエッフェル塔とトウキオ河岸の間にあって、迷子になりにくい位置だし大使館から遠くない上にシャンゼリゼをふくむグラン・ブルヴァールにも近く、そんな場所に在るにかかわらず気やすい三流ホテルだということから、いつの間にかパリへ来る日本人の一時の定宿のようになってしまったのだろう。
伸子と素子とは、間口ばかりはこけおどしに広くて、奥ゆきの浅いそのホテルの建物の正面階段を三階へのぼって行った。そして、金色のハンドルのついた白塗り両開きの大扉をノックした。
ドアをあけたのは小枝だった。帽子をかぶればそれでもういつでもいいだけの外出姿で、しぶい色のバラ模様のジョーゼットの服が小枝ののびやかに若々しい体に美しく似合っている。小枝は、
「あら! お早う!」
うれしそうに伸子の手にさわった。
「よくこんなに早くいらっしゃれてね」
小枝は、すぐそこから奥の寝室に向って、
「おかあさま。素子さんとお姉さまがいらっしゃいました」
と告げた。つや子が駈けて来た。白いブラウスに草色のスカートをつけて。ふとりすぎた十三歳の少女のつや子に、草色の服はいなかくさかった。つや子は、だまって伸子にすがりついた。
「どうしたの? どっかへお出かけ?」
「わからない」
つや子にからみつかれたまま伸子たちが
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