Bそれも規則であった。派手なバンドつきの丸形制帽をかぶって「春の目醒め」にでて来るような半ズボンから長い脛を出した中学生がうすい金髪のぼんのくぼを見せて、にきびのある血色のわるい顔を窓に向けて電車にのっているところを見ると、伸子はその少年たちの心の内にあるものが知りたかった。ベルリンでは長幼の序という形式がやかましい。しかし、ベルリンの劇や映画でセンセイションをおこしているのは、少年少女の犯罪を扱ったものだった。「三文オペラ」にしても、表現派の舞台に暗く速く展開されるギャングの世界のばくろだった。メイエルホリドは、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の劇場のうちでは一番表現派に近い舞台で、「検察官」などを上演したが、メイエルホリドでは諷刺の形式として表現派がつかわれているようだった。ベルリンでの表現派は、物体も精神も、破壊をうけて倒れかかる刹那の錯雑した角度とその明暗という印象で、迫るのだった。
「グロスの漫画にしても、わたしには、ああいう肉感性のからんだグロテスクが疑問だわ。ね、そうじゃあない? 現代のいやらしさを描き出すことに、グロス自身がはまりこみすぎているわよ」
日曜日の夕方になると、郊外から野草の花で飾られた自転車をつらねて一日のピクニックからベルリンの市内へかえって来る人々の大きい群があった。なかには若い夫婦が二人乗自転車のペダルをふんで、二人の間の籠に赤ん坊をのせてかえって来る一組がある。日にやけて歌いつかれたように笑ったりしゃべったりしながら野原の花をもって、軍用道路の上を陸続と明日の勤労のために自転車をそろえてかえって来る人々を見ると、伸子には、「三文オペラ」やグロスの漫画が、しんからそれらの人々の生活感情の底から生れているものと思えなかった。こういう人たちも、もちろん、ああいう芝居を見たり絵を見たりはしているだろう。そして、痛快がり、面白がりもしているかもしれない。けれども、それは気持の一部でのことで、あとのより多くの部分はどんなところに日常の流れをもっているのだろうか。
「赤い地区」ウェディング、ノイケルンはメーデー以来大きく浮びあがっているけれども、伸子や素子がベルリンでのこまかいありふれた日々の間にふれている場面のなかへまでは、新しく創られた生活の道がしみ出していなかった。それはそれがあるところにあるだけだった。
ベルリンのプロレタリアートは、津山進治郎のいう「モルトケの戦法」で、経済の上にも法律の上にも、分れて進み合してうつ「新興ドイツ」のしめつけにあっていて、それをふんまえながら軍国主義のボイラーへはますます燃料がつぎこまれている。ロート・フロント! ロート・フロント! 用意はいいか! それは反抗の叫びであり、抵抗の唸りであり、帝国主義に向ってつき上げられているつよい拳《こぶし》だった。けれども。伸子はそこに双方のゆずらない対立を見出すだけだった。
以前より悪辣に生きかえりはじめているドイツの帝国主義と、それに反対する民衆の勢力とが、伸子たちにさえ感じとれるほど鋭く対立しながら足踏みしているのは、川瀬勇の説によると、独占資本に尻尾をまいたドイツの社会民主主義者たちのせいだった。シャイデマンやノスケは、カールやローザを殺して、一九一九年のドイツの革命をブルジョア民主革命にまでも及ばない、まがいものにすりかえることに成功した。だから、と、川瀬や中館たちは自分の専門の映画や劇の問題にかえって、ドイツの新興芸術の深刻さ[#「深刻さ」に傍点]は、段々くさった溝になって来てしまった、というのだった。興行資本の大きいアメリカの裸レビューに吸収され、トーキーに食われてゆくのだというのだった。伸子たちはそれらのことを、世界情勢という言葉にまとめて話されるのだった。
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の生活は、民衆の生活のすべての具体的なあれやこれやをひっくるめて、社会主義がわかっていようがいまいが、こみ[#「こみ」に傍点]で社会生活の実際を、社会主義の方向へひっぱっている。新しいものは旧いものと絡みあい、交りあい、ときにはまだら[#「まだら」に傍点]になりながら、たゆみなく前進している。
伸子は、テーブルの上に出たままになっている「戦旗」をめくりながら、日本は、ソヴェトの社会に似るよりもよけいにベルリンに似ていると思った。革命という字は、伸子にしても、そこに未来の約束がふくまれている言葉として感じとられるようになっているけれど、ほんとうに革命が生きぬかれてゆく、いりくんで複雑な過程は、何とそれぞれの場所で、それぞれにちがっていることだろう。伸子が、日本はドイツに似ていると感じることのなかには三・一五やら山本宣治の暗殺や二冊の「戦旗」にみなぎっているけわしい対立の雰囲気からの連想があった。自分のうちにある正義の感覚や人間としての権利の主張を、理論にたって組織して、それによって、行動する習慣を身につけていない伸子は、ひたすら、いやなものをいやと感じて澄んだ眼のなかの黒い瞳を一層黒くこりかたまらせるのだった。
伸子はしんから腑におちたという調子で、
「日本の男のひとたちが、ドイツをすくわけだわねえ」
と歎息した。
「形式ばったところや、勿体ぶって男がいばっていられるところなんか、日本そっくりなんだもの。かげへまわればグロス的でさ。女のひとは、三つのK(子供《キンダア》・台所《クーヘ》・教会《キルヘ》)だし……。ドイツが気に入っているという日本人にきいてごらんなさい、勤勉だとか几帳面がいいとかいうけれど、本質的には三分の二までの人が、ドイツの旧さや軍国主義と気があっているんだから」
「外国へ来ている日本人で腹から進歩的なのはすくないにきまってるさ」
素子が実際的な顔つきで云った。
「旅費の工面をつけて来るものが立身を忘れちゃいられまいだろうさ」
六月はじめの夜の八時ごろ、パリ行きの列車がとまる|ZOO《ツォー》(動物園)停車場のプラット・フォームに、ひとかたまりの日本人がいた。色さまざまなネオンにあやどられているベルリンの夜景にそむいてその一団は、輪になって興奮した調子の声でしゃべっていた。
「そんな無茶な奴ってあるもんか!」
「僕もそんなおどかしでひっこむ気はありませんがね」
「もちろんだわ。何てけちな人たちなんでしょう!」
そう云っているのはこれからパリへ立って行こうとしている伸子だった。
中館公一郎の「シャッテン・デス・ヨシワラ(吉原の影)」がいよいよベルリンで封切りになるについて、きょうの午後おそく試写会がもたれた。出立の時間が迫っている伸子と素子とは観に行かれなかったが、いまステーションへ見送りに来た川瀬勇たちの話によると、それを見たベルリンの日本人のなかに、いちはやく、中館公一郎をなぐっちゃえ、という声がおこっているのだそうだった。映画は徳川末期の浪人の生活苦とその人間苦を主題にして、武士階級の没落を描き出そうとしたものであったが、肩つぎの破れ衣裳を着てぼろ屋のうちに展開される貧しさや苦悩は、貧乏くさくてベルリンにいる日本人の体面をけがす、国辱だ、といきまいているのだそうだった。
「そりゃ多勢の中にはそんな奴もいるだろうが、まさか、全部が全部ってわけはないんでしょう」
オリーヴ色の小型カバンを足もとにおいている素子が云った。
「ところがね、大体似たりよったりの感情らしいんです。ただそれを口に出すか出さないかだけでね。わたしのきいた範囲じゃ、このごろのドイツ映画はきたないのがはやりだから、この位が通用するのかもしれん、というのが、最も進歩的な意見だったですよ」
「冗談じゃない!」
みんなが苦笑した。
「ああいう連中はね」
川瀬勇が、云った。
「下宿の神さんや娘や、その他おなじみの女たちに、せいぜい刺繍したハンカチーフだの何だのやっちゃ、大いに国威[#「国威」に傍点]を発揚していたのさ。富士山《フジヤマ》だの桜だのってね。そこへ、『シャッテン・デス・ヨシワラ』に出られちゃ、顔がつぶれるっていうわけさ、被害甚大ってわけさ。まさか見るな、とも云えまいしね。御婦人連は、おあいそのつもりで、わいわい云うんだろうし……」
プラット・フォームから頭をのばして、村井がレールの鳴り出した高架線の前方をすかして見ていた。
「来たようですよ」
伸子と素子は、一人一人に握手した。
「どうもいろいろありがとう」
「かえりにまたどうせよるんだろう?」
地ひびきを立てて入って来た列車は、惰力をおとしてやがて停ろうとしている。その車室の窓に沿って、伸子たちは、長い列車のなかごろまでいそいだ。
「ここだ、九番でしょう?」
「そうだわ。どうもありがとう」
伸子はステップへあがって、棒につかまりながら素子の肩ごしに、
「じゃ、さようなら!」
プラット・フォームに立っている川瀬たちに向って手をふった。
「ね、みなさん、お願いよ。中館さんをなぐらせたりしないでね」
動き出した列車に向って歩きながら高くのばした腕を一つ二つ大きく振る川瀬勇の姿が、人影のまばらなプラット・フォームのアウスガング(出口)と白い字でかかれた札の下に遠くなった。
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道標 第三部
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第一章
一
毎晩七時に、リオン停車場からマルセーユ行の列車が出る。その列車でパリを立つと、翌朝七時に、マルセーユに着く。五月二十日ごろ佐々の一家をのせて神戸を出帆した日本郵便《エヌ・ワイ・ケイ》株式会社のカトリ丸は七月一日の午前九時ごろにマルセーユへ入港する予定だった。マルセーユの駅からホテル・ノアイユへよって、パリの日本大使館のムシュウ・マスナガが契約しておいた部屋と云って一応たしかめておいてから、埠頭《ふとう》へ迎えに行けばよいだろう。増永修三が、マルセーユ行の切符とともに伸子に与えた指図は、そういうことであった。
六月三十日の夜七時に、伸子は一人で、ガール・ド・リオンから出発した。どんなあい客が、いつどこからのって来るか予想されない車室《クーペ》のなかに、さし向いでとじこめられる一等車をさけて、伸子の乗ったのは、日本の汽車のような体裁の二等車だった。
車内は、八分どおりのこみかたで、伸子は二人ならびの席にひとりでかけられた。伸子は、ウィーンで買ったクリーム色の小さい手提鞄を用心ぶかく自分の体と窓の間におき、言葉のよく通じない外国で一人旅する若い女の身のひきしめかたで、座席がきまるとすぐ窓外の景色を眺めはじめた。
南仏に向う列車の沿線には、夏の薄明りにつつまれておだやかに耕地がひろがった。耕地はゆたかに隅々まで愛情をもって耕作されている。伸子の列車が通過して行く地方には、ポプラが目立った。薄明《トワイ・ライト》の光線を細く鈍く反射させながら流れてゆく小川のふちに、数株のポプラの樹が並んで、年を経て瘤々の太くなっている幹から萌え出た勢のいい若枝が、灰色のまざった軽い浅緑の葉を繁らせている。列車の進行につれて、ゆるく旋回しながら、遠ざかってゆく野道の上に、ポプラ並木がつづいている。ところどころに散らばって在る農家は、灰色の外壁に厚い麦藁葺き屋根をもっていて、家畜小屋や荷車のおかれている内庭には、低い灰色の土の墻《かきね》で四角くかこまれている。それらの農家は、円い形の厚い藁ぶき屋根と土の墻《かきね》と、ポプラの樹のかげに、伝統的なフランス農民の生活をつつんでいるようだった。しかし最近の数年間にフランスの農業人口は減りつづけているということだった。政府は、金まわりのいい状態を保ちつづけるために、国内に不足な農業生産物を、やすく植民地からとりあげる政策をとりはじめた。それは植民地の住民から土地を失わせる結果になっていてフランスの共産党は、攻撃している。伸子は、パリで買えるデイリー・メイル紙からそういう記事をよんで間もなかった。
艷《つや》の消された水色と、灰色がかって爽やかな緑で調和している風景は、車窓から眺めている伸子にシャ※[#濁点付き片仮名
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