Bノヴォデビーチェと云えば先頃までは修道院でしか知られていないところだったが、今年十二月の雪が降りしきるノヴォデビーチェにひとかたまりの新開町ができていた。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]市の膨脹を語るできたばかりの町で、その町の住民の生活に必要な食料品販売店、本屋、衣料店などがとりあえず当座入用な品々を並べて菩提樹の下の歩道に面して木造の店鋪をひらいている。公園の中のように、大きい菩提樹の間をとおって幾条か雪の中のふみつけ道がある。その一条一条が三棟ほどある五階建ての大きいアパートメントのそれぞれの入口に向っているのだった。
雪空のかなたにノヴォデビーチェ修道院の尖塔のついた内屋根をのぞみ、雪につつまれた曠野にひとかたまり出現したその新開町のなかは、ぐるりの風景のロシア風な淋しさとつよい対照をもって、ソヴェト新生活の賑わいと活気をあらわしていた。雪の中に黒い四角な輪廓で堂々と建ちつらなっている大アパートメントは、化学航空労働組合が建てたものだった。人々は、何年かにわたって、これらの建物のために一定の積立金をし、完成の日を期待し、やがて凱歌とともにこの新開町へ引越して来たところだった。店々に品物がまだとりそろわず、雑貨店の赤い旗で飾った窓に石油コンロがちょこなんと二つ並んでいるばかりであるにしろ、そこにはこの町のできた由来と新生活のほこりがあるのだった。
伸子が移った室というのは、そのノヴォデビーチェの新開町の中心をなす三棟の大アパートメントの右はずれの建物の四階にあった。入口のドアをおして入ると、その大きい建物全体の生乾きのコンクリートがスティームに暖められ、徐々に乾燥してゆく、洗濯物が乾くときのような鼻の奥を刺すにおいがこめていた。借りた室は、ルケアーノフの室の四倍ほどの広さがあった。が、伸子は、組合の保健婦であるそこの細君に案内されて部屋をみたとき、素子がどうしてもそこに、おちついていられないんだ、といくぶんきまりわるそうに云ったわけがわかるようだった。
三方の真白い壁と、カーテンのかかっていない二つの大窓に面して、ひろくむき出された床の上には、ぽつねんと古びた衣裳箪笥が一つたっていた。ニスの光る新品のデスクが一つ窓に向って据えてあった。ドアの左手の窓ぎわにくっつけて、寝台がわりにディヴァンがおかれている。部屋を見わたして、伸子は、
「大変清潔です」
と云いながら、ひどく不思議な気持がした。その部屋は全く清潔でなくなろうとするにも、それだけのものがないのだったが、この室におかれているものは、デスクにしろディヴァンにしろ、どうしてこうも小型のものばっかり揃っているのだろう。デスクは、室の広さとのつり合いでおちつきようもなく小さくて真新しいし、ディヴァンにしろ、それがそこにあるためにかえって室内のがらんとした感じが目立つぎごちない新しさと小ささだった。伸子がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の家具として見なれた大きさをもっているのは、衣裳箪笥だけだった。どこにも悪気はないのだけれども、大きい顔の上に、やたらに小さい目鼻だちをもった人とむかいあっているような、居工合のわるさがその部屋を特色づけている。
素子がこういう部屋を見つけたことについて伸子は、ちっとも知らなかった。パッサージ・ホテルにいた素子は、ひとりで広告して、一人できめて、正餐つき一ヵ月の部屋代をさき払いした。
「ぶこちゃん、失敗しちゃった」
と、素子がノヴォデビーチェの部屋について話したのは、伸子をびっくりさせようとして、素子がノヴォデビーチェの室へ一晩とまって見た翌日の正餐のときのことだった。
「前払いなんかしなけりゃよかった。――すまないけれど、ぶこちゃんあっちで暫く暮してくれよ。入れかわって――いやかい?」
パッサージの室を素子はその日の夕方までで解約してしまっているのだった。
紙のおおいのかかったパッサージの食堂のテーブルに素子とさし向いにかけ、アルミニュームのサジで乾杏や梅を砂糖煮にしたものをたべながら、伸子は、答えのかわりに、べそをかいた顔をつくった。
「だって、そこは淋しいっていうのに――」
「ぶこなら大丈夫だよ」
「どうして?」
「わたしみたいに一日そんなところへとじこもっていなくたっていいんだもの。ぶこは寝るだけでいいんだもの、平気だよ。モローゾフスキーとトレチャコフスキーをしっかり見るんだって云ってたんじゃないか」
レーニングラードの冬宮附属に、エカテリナ二世がこしらえたエルミタージ美術館があった。その厖大で趣味のまちまちな蒐集《しゅうしゅう》をみたら伸子は、純ロシアの絵画ばかりを集めたモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のトレチャコフスキー画廊に愛着をおぼえた。ロシアにおけるフランス近代絵画の優秀なコレクションであるモローゾフスキーの画廊をもう一度見なおしたいとも思った。伸子がそんなことを云っていたのはパンシオン・ソモロフで暮した夏からのことだった。モローゾフスキーには、ピカソの笛吹きをはじめ、青年時代のいくつかの作品やゴーガン、カリエール、ドガ、モネ、マネ、セザンヌなどフランスの印象派画家たちの作品があった。
フランスの近代絵画の手法と、ロシアのどこまでもリアリスティックな絵画の伝統とは決してとけ合うことない二つの流れとして、ソヴェト絵画の新しい門の前にとどまっているようだった。ちょうど日本から歌舞伎の来ていたころ、プロレタリア美術家団体からフランスへ留学させられていた三人の若い画家の帰朝展がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で開かれた。パリにおける三年の月日は、ソヴェトから行った若い素朴な三人の才能を四分五裂させてしまっていた。三人の作品は、どれをみても、ソヴェト人にとって、外国絵画のまねなどをしようとしてもはじまらないことだという事実を証拠だてているようだった。画面全体が不確なモティーヴと模倣のために混乱した手法の下におしひしがれ、本人たちが、何をどう描いていいのか、次第にこんぐらがって行った心理の過程がうかがえた。パリへ行ったばかりのときの作品は主として風景で、三人ともロシア人らしい目でありのままに対象を見、しかもにわかに身のまわりに溢れる色彩のゆたかさと雰囲気にはげまされて、面白く親愛な調子を示していた。それが一年目の末、二年と三年めとごたつきかたがひどくなって来て、最後の帰朝記念の作品では、三人が三人ながら、いたずらに何かをつかもうとする苦しい焦燥をあらわしていて、しかもそれができずに途方にくれているのだった。
このパリ留学失敗展は伸子にいろいろ考えさせた。ソヴェトの新しい芸術はパリへ三年留学するというようなことでは創れない本質をもつものだ。この事実を、ルナチャルスキーとソヴェト画家たちが知ったことにはねうちがあった。学ばれること。模倣されること。ソヴェト独特の絵や文学がそのどっちでもなかったということは、伸子にとって身につまされる実感だった。この発見のなかには、伸子にむかって、それならお前のものはどこに? とひびく声がひそんでいた。ソヴェトの芸術はソヴェト生活そのものの中から。自分としては今のところ、益々ソヴェト生活そのものの中へ、という執拗な欲求の形でしか伸子の答えはないのだった。
そういうわけで、この冬、伸子はもっぱらトレチャコフスキーやモローゾフスキーを見るにしても――
「どうして、そのノヴォデビーチェ、ことわっちゃいけないの?」
それは自然な伸子としての疑問だった。
「そんなこと今更できやしないよ。だって、あの連中」
と素子はクワルティーラの番号だけはっきり覚えていて、名を忘れた化学航空組合員夫婦のことを云った。
「わたしがはじめての借りてなんだもの。そのためにデスクとディヴァンを買って入れたんだし、こっちだってそれに対して前払いしたんだから、解約なんてばかばかしいことはできないよ」
解約すれば一ヵ月の前金は先方にわたすことになっているのだった。
アストージェンカからノヴォデビーチェ行きの電車にのりながら、伸子は、そういう素子らしい考えかたを滑稽なように、また、いやなように感じた。自分が淋しくていにくいところへ、もっと淋しがりの伸子をやる。前金を無駄するのがばからしいという気持から――。しかし、伸子が行って見る気になったのにはどっちみちどこかへ室がいるのだからという実際の判断とともに、その淋しさというものへの彼女自身のこわいものみたさもあるのだった。
グーセフというノヴォデビーチェの夫婦には四つばかりの男の子があった。朝、八時すぎに夫婦がそろって出勤してゆく。暫くして、田舎出の女中が、男の子を新開町の中にある托児所へつれて行ってもどって来る。それから伸子が食堂で朝の茶をのみ、午後四時に、また一人で食堂の電燈の下で正餐をたべた。九時に、又同じようにして夜の茶をのむ。毎晩きまってそのあとへ、夫婦がつれだって、ときには集会の討論のつづきの高声でしゃべりながら、帰って来た。グーセフの家では夫婦とも勤めさきで正餐をたべた。
保健婦であるグーセフの細君は、ルイバコフの細君のように、自分の髪にマルセル・ウェーヴをかけて、女中のニューラに絶えず用をあてがうような趣味をもっていなかった。托児所へ送り迎えをしなければならない小さな子供がいるから女中もおいているという風なグーセフ夫婦は、ひる間女中の時間がすっかりあいているそのことから下宿人をおくことを考えついたらしかった。夫婦は下宿人に対してきわめて淡泊だった。したがって女中の料理の腕についても無関心だった。伸子がどんなに焦げたカツレツを毎日たべ、夜の茶にはどんなにわるい脂でかきまぜた魚とキャベジと人参のつめたい酸づけをたべているかということについても無頓着だった。
二三日暮らすうちに、グーセフの家のそういう無頓着さは、ほんとにただ無頓着だというだけのもので、むしろ自然な状態なのだということが伸子に会得された。小型なディヴァンも、室の大きさにくらべて異様にちょこんとしたデスクも、グーセフ夫婦にすれば単純に素子と伸子の体の大きさを念頭においてそれらの家具を選んだというのにすぎないらしかった。事実、その極端に小さく見えるディヴァンに伸子がシーツと毛布とをひろげて寝てみれば、それはゆっくりしないまでもさしつかえなく寝床の役に立つのだった。
グーセフ夫婦は足にあわせて靴の寸法でもはかるように、自分たちからみればずっと小柄な新しい下宿人の寸法に合わせて、清潔な新しい二つの家具を買い入れた。その小型なディヴァンと小型なデスクとが、がらんとしたひろい室にどんな効果をもたらすかということについて夫婦は考えなかった。そこに伸子にとっての苦しいはめがあった。
むきだしの二つの窓のそとには、十二月下旬の雪が降りしきるノヴォデビーチェのはてしない夜がある。がらんとした室の中に一点きれいな緑色をきらめかせている灯の下で、伸子はデスクに向っていた。せめてデスクにおくスタンドのかさでも気に入ったのにしておちつこうと、伸子はそのシェードをきょうモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の繁栄街であるクズネツキー橋の店から買って来たのだった。伸子は例によって水色不二絹のスモックを着て、絹のうち紐を胸の前にさげている。伸子はこの室へ移って来てから毎日数時間デスクに向ってかけて、そのセメントのにおいとがらんとした室の雰囲気に自分をなじませようと練習しているのだった。
いまも外では雪の降っている夜の窓に向って、デスクにかけている伸子には、目の前の窓ガラスにうつる緑の灯かげと、その灯かげにてらされて映っている自分の水色のスモックの一部分ばかりが気になった。デスクの上に本と手帳とがひらかれていた。が、それには手がつかない。麻痺するような淋しさだった。なぜこうここは寂しいんだろう。あんまりセメントくさいからだろうか。伸子はしびれるような単調な淋しさにかこまれながらあやしんだ。部屋がガランとしているということが、こんなはげしい淋しさの原因と
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