ヲようとした。
 車内を四分の三ぐらいまで進んだとき電車はとまった。そして、すぐ発車した。車内には赤ネクタイの端っぽさえ見あたらなかった。ピオニェールは完全に逃げおおせた。
 そのときになって、伸子はやっと口がきけるようになった。まわりの乗客たちは、黒い外套を着た小柄な外国女がピオニェールのなりをした小僧にスモーチカを盗《と》られたという事実を知った。乗客たちは、そんな小僧の素早さや、つかまりっこのないことを知りぬいているらしく、伸子の災難に同情しながらもきわめて平静だった。伸子が一文なしになったから、電車からおろしてくれ、友達のところへ帰る、と云うと、二三人の男が運転手に声をかけた。電車はすぐとめられた。

 まだかなり人通りのある夜ふけの雪道を、いそがずパッサージ・ホテルに向って歩きながら、伸子は亢奮している自分を感じ、同時に、ピオニェール小僧のやりかたに感歎もした。エクスペリメンターリヌイ劇場で伸子たちにつきまといはじめてから、小僧は一晩じゅう目的に向って努力をした。双眼鏡をもって行って、それはかえして、第一歩の疑惑をといたやりかた。あてっこ遊び。小僧はそういう遊びにことよせて伸子たちの持ちものの検査と値ぶみをしたのだった。素子に、伸子のモ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ードの金側腕時計を見せて、
「これ、にせものでしょう」
と云い、素子から、
「にせものなもんか、本ものだよ」
と云わせた巧妙さ。伸子も素子も、陽気すぎ、その好奇心がうるさすぎるピオニェール小僧に対して決して気を許しきってはいなかった。半分の疑惑があった。素子は、意地くらべをするように書類鞄を椅子の背と自分の背中との間に挾みこんで椅子から動かなかった。伸子だって、ストラスナーヤをまわろうというピオニェール小僧の言葉をしりぞけたとき、あっちに小僧の仲間がいるのかもしれないと思ったのだった。それだのに、結局スーモチカをもたせる始末になった。それは伸子がすべったはずみではあるが、全体として、あの金毛のそばかすのあるピオニェール小僧が、はじめっから伸子たちの警戒と油断とが等分に綯《な》い合わされた神経の波に応じて絶えざる緊張で演技をつづけとうとう最後のチャンスで獲物をせしめた。そのねばりは、ごまのはい[#「ごまのはい」に傍点]にしても相当なものだった。えもののねらいかたが心理的にごまかして、計画的であることが、伸子にゴーゴリの悪漢を思わせた。でも、もし、あの小僧があれだけ伸子たちをつけまわしたのに、今夜じゅうに何もとれなかったとしたらどうだったろう。それを思うと、伸子は、はじめて真面目なこわさを感じた。ピオニェール小僧が徒党をもっていることはストラスナーヤと云ったことで察しられるし、そこには、彼の大人の親方がいたのかもしれない。スーモチカをくれてやって、よかったと伸子は思った。少くとも、ピオニェール小僧は親方にさし出す獲物として、いくらかの金と、金側時計と古くても皮のスーモチカがあった。それは彼を死もの狂いにすることから救った。それは、伸子の安全を買ったことなのだった。
 パッサージのドアをあけ、去年伸子たちがモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に着いたときからそこに置かれていた棕櫚《しゅろ》の植木鉢のかげから、下足番のノーソフの大きな髭があらわれたら伸子は急に体じゅうが軟かくなってしまった。半分は意識して、半分は無意識のうちに一晩中ピオニェール小僧と心理的な格闘をしていた。それがもうすんだ安心だった。
 椅子にちょこなんと腰かけて防寒靴をぬぎながら、伸子は、今宵《こよい》の出来ごとをかいつまんでノーソフに話した。
「あの小僧が――そりゃ、そりゃ」
 ノーソフは、頭をふった。
「わしは、あなたがたといっしょに小僧が入って来たのを見ましたよ。だが、あなたがたといっしょだったもんだからね、知り合いの子でもあるかと思ったです。――カントーラ(帳場)に話しなさるこったよ」
 ノーソフと話しているうちに、伸子の眼の中と唇の上に奇妙に輝きながらゆがんだ微笑がうかんだ。トゥウェルスカヤの大通りからアホートヌイへ出るところで伸子が足をすべらし、そのはずみに何気なく伸子のスーモチカがピオニェール小僧の手にわたった。そのとき、ピオニェール小僧は、伸子の小型で古びたスーモチカを脇の下にしっかり挾み、伸子の腕を支えて歩き出しながら、手袋をはめている伸子の手をとりあげ、寒さで赤くなっている自分のむき出しの両手の間にはさんで音たかく接吻の真似をした。伸子は、馬鹿馬鹿しいというように手をひっこめた。
 ノーソフと話しながら伸子はその情景を思い出した。あのときどんなにピオニェール小僧はほっとしたんだろう。先ずこれでせしめた。そう思ったはずみに、ピオニェール小僧は思わず伸子の手へ接吻の真似をしたのかもしれない。しかし――接吻の真似――それはやっぱりごまのはい[#「ごまのはい」に傍点]の仕業だった。
 小花模様のついた絨毯のしかれた午前一時すこし前の階段を伸子は一段ずつ素子の部屋へ、のぼって行った。

        八

 伸子と素子とがたかられ、伸子がスーモチカをとられたピオニェール小僧は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で通称ダームスキーとよばれ、婦人や外国人専門のごまのはい[#「ごまのはい」に傍点]だった。翌日、市民警察の私服のひとと四十分ばかり昨夜の出来ごとについて話して、伸子たちは新しくそういう事実も知った。しかし、伸子にも素子にも、自分たちの被害を強調する気分がなかった。ことのいきさつは、はじめから伸子たちの不注意に発端していたのだから。
 写真で見るルイバコフがいつも着ているようなダブル襟の胸にひだのあるつめ襟を着た私服のひとは、こまかに伸子のとられた品物の記録をとった。わずかの金銭のことや時計のことを告げているとき、伸子はきまりわるい思いだった。時計は、モ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ードの金側であるにしろ、とまったまま動かなくなっていたものだし、それは伸子が立つとき父の泰造が餞別に買ってくれたものでもあった。職業をきかれたとき、婦人作家と答えた伸子は、現実にあらわれたとんま[#「とんま」に傍点]を、自分に対してつらい点で感じるわけだった。
「わたしたちは、むしろ自分たちがわるかったと思っているんです。しかし起ったことは起ったことですからね」
 素子が、その私服のひとにタバコをすすめながら云った。
「報告すべきだと考えたわけです」
「そうですとも。それにわれわれとしては、あなたがた外国のひとが、ピオニェールという点でその小僧を半ば信用されたことを、非常にお気の毒に思います。且つ遺憾とします」
 ああいう小僧のつかまることや品ものの出ることについてはそのひとも度々の経験から期待をもっていないらしかった。
「あなたはどうお考えですか」
 ゆうべから疑問に思えていたことを伸子が質問した。
「あの小僧は、本当のピオニェールだったんでしょうか、それともただピオニェールの服を着たよくない小僧だったんでしょうか」
 ちょっと考えて、実直な顔をした若い私服のひとは、
「どっちとも云えないですね」
と云った。
「ピオニェールの組織は御承知のとおり大きな大衆組織で、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]市ばかりで数万の少年少女がそれに属しています。――その小僧がピオニェールであることも事実であり、同時に職業的ダームスキーであることも事実かもしれません。――残念ながらこれは、過渡期の社会としてあり得ることです」
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来た当座はすり[#「すり」に傍点]にもあわないで、一年たったとき念入りなごまのはい[#「ごまのはい」に傍点]にたかられたということは、伸子に自分たちの生活態度をいろいろと考えさせた。劇場の外套あずかりどころで、素子が外套のポケットから札束を出したりした。それが間違いのもとだったのだが、そんな油断は伸子たちのどんな心理からおこったことだったのだろう。伸子も素子もモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で働いて、それで取る金で生活しているというのではない。その上、ルーブルが円よりやすくて、換算上、日本の金の何倍かにつかわれている。素子と伸子のうかつ[#「うかつ」に傍点]さは、都会生活になれない人間の素朴なぼんやりさが原因なのではなくて、その土地で働いて生活しているのでない外国人がいくらか分のいい換算率に甘やかされている、そのすきだということが伸子には思われるのだった。
 素子の節倹は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へついた当座からかわりなく、伸子たちはいまでも、気のかわった贅沢な料理をたべに、サヴォイ・ホテルの食堂へ行くというようなことは一ぺんもしなかった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]としてはたかい砂糖菓子さえ滅多に買わなかった。そういう風なつつましさでは、多くの実直なモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]人と同様なのに。――あの札束が、かりに素子の月給であったらどうだったろう。もしくは、伸子の原稿料だったら――いずれにせよ二人はもっと慎重だったにきまっている。
 ルーブルと円との換算率ということも、改めて考えてみれば、伸子にとっては一つの自己撞着だった。日本の円に対してルーブルが低い換算率をもっているということは、日本よりソヴェトの方が、一般的に社会的信用がないことを意味している。でもそれは、日本のどういう条件に対してソヴェトの信用がより少ないのだろう。ソヴェトの大多数の人々にとっては、ソヴェトの全生活がほかの資本主義社会より少ししか信用できないものだとは決して思われていない。ここの国の人々が選んだ社会主義の実績は着々進められているのだから。農業や工業の電化は、一九二八年のメーデーから革命記念日までの六ヵ月間に、かなりのパーセント高められた。ソヴェトに対する信用は低いとしているのは、その社会主義の方法を信用しまいとしている諸外国の権力であり、ソヴェトに機械類その他をより高く売る方がのぞましい人々の利害であるし、本国にいるよりどっさりルーブルの月給がとれる出さきの役人や顧問技師の満足であるわけだった。
 ソヴェトの生活になじむにつれて、伸子は、ソヴェトに対するよその国々の偏見と、それをこけおどしに宣伝する態度にいとわしさを感じていた。いってみれば、その偏見そのものが通過の上にあらわされている換算率で、自分たちのルーブルがふえるというのは何という皮肉だろう。
 金についての素子のつましさは、働くもののつましさではない。むしろ、常にいくらかゆとりのある金を用心ぶかくねうちよくつかってゆく小市民的な習慣だ、と伸子は思った。けれども、それならば、伸子自身が素子とはちがった面で小市民的でないと云えただろうか。一度か二度ピオニェールの野営地を訪問し、クラブでピオニェールたちと会談したくらいのことで、ピオニェールのことは心得たようにあの金毛のピオニェール小僧に対した伸子は、自分の態度に甘さのあったことをかえりみずにいられなかった。ピオニェールのネクタイしか赤いきれがモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にないとでもいうように! モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ぐらい、どこへ行ったって雑作なく赤い布きれが手に入るところはありはしないのに! 悪意は辛辣でリアリスティックだと伸子は思わないわけにゆかなかった。小悪漢ピオニェール小僧の炯眼《けいがん》は、二人の日本人の女の無意識の断層にねらいをつけて図星だった。

 このことがあって間もなく、素子はパッサージ・ホテルから、筆入れ箱のように細長くて狭いルケアーノフの室に戻って来た。そして、伸子がチェホフの墓のあるノヴォデビーチェ修道院のそばの新しい建物の一室に移ることになった。
 アストージェンカからモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の郊外に向う電車にのってゆくと、その終点が有名なノヴォデビーチェだった
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