ニ、メーデイのすぐあと日本へかえった秋山宇一を送ってからレーニングラードへ来ている内海厚の斡旋であった。
 そこはネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]河の河岸で、窓ぎわにたつと目の下に黒く迅いネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の流れがあった。遠く対岸にペテロパウロフスク要塞の金の尖塔が見えている。伸子と素子とが並んで、ネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の流れの落日を眺めたりする窓は、二人の立姿が小さく見えるぐらい高く大きかった。白夜の最中で、毎日午後十二時をすぎての日没だった。伸子と素子が日本の女の肌理《きめ》のこまかい二つの顔を真正面から西日に照らされながら見ている前で、太陽は赤い大きな火の玉のようにくるめきながら、対岸に真黒く見えている三本の大煙突の間に沈みかかっていた。ネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の流れが先ず暗くなって鋼《はがね》色に変った。しかし、まだ伸子たちの顔を眩しくてりつけている斜陽は、もとウラジーミル大公の宮殿だったというその部屋の、天井や壁についている金の縁飾りを燃え立たせている。伸子たちが立って入日を見ている窓のよこに大煖炉があって、その上の飾り鏡に、西日をうけて眩しいその室の白堊の欄間や天井の一部が映っていた。
 レーニングラードのこの季節の日没と日の出は一つの見ものだった。対岸に真黒く突立っている三本の煙突の一本めと二本めとの間に沈んだ太陽は、十二三分の間をおいただけで、すぐまた、沈んだところからほんの僅か側へよった地点からのぼりはじめた。沈むときよりも、手間どるようにその太陽はのぼって来る。バルト海からの上げ潮でふくらみはじめたネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の水の重い鋼色の上を光が走った。河岸通りには、人通りが絶えている。こういう時間の眺めは憂愁にみち、また美しかった。伸子はレーニングラードという都会がそんなにも北の果ちかくあることや、地球の円さが日没と日の出とにそんなにはっきりあらわされる自然にうたれた。
 レーニングラードは、ソヴェト同盟の首都でない。このことが、半年モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でばかり生活しつづけて来た伸子と素子とに、レーニングラードへ来てみるまではわからなかったそこでの暮しの味わいを知らせた。
 レーニングラード※[#二分ダーシ、1−3−92]ヴ・オ・ク・ス(対外文化連絡協会)は、伸子たちの泊っている元ウラジーミル大公の邸、ドーム・ウチョーヌイフ(学者の家)の通りを三位一体橋の方へゆく左側にあった。木煉瓦のしきつめられたそのあたりの通りは広くて、いつも静かで、ヨーロッパの貴族屋敷らしい鉄柵のめぐらされた庭の六月の青葉の茂みが歩道の上まで深く枝をのばしている。冬宮の周辺のそのあたりには、まるで人気のない建物があった。同じ広い通りの右側に、鉄柵のめぐらされた大邸宅が一つあった。槍形に尖《とが》った先が金色につらなっている鉄柵ごしに、窓々のかたく閉された館《やかた》が見え、ぐるりに繁っている雑草とその雑草に埋もれて大きい車寄せの石段が見えた。規則正しい輪廓を夏の外光に照りつけられている石造の人気ない大きなその家は、物音のすくないその通りにひとしお物音を消して立っていて、伸子と素子とがその長い鉄柵に沿った歩道を行くと、とかげ[#「とかげ」に傍点]が雑草の根もとを走ってかくれた。
 寂しいその通りは、三色菫の植えこまれた花壇が遠くに見える公園へ向ってひらいた。その左角の鉄柵に、レーニングラード※[#二分ダーシ、1−3−92]ヴ・オ・ク・ス(対外文化連絡協会)の白く塗られた札がかかっていた。瀟洒《しょうしゃ》な鉄門の左右からおおいかぶさるように青葉が繁っていて、高い夏草の間に小砂利道がひと筋とおっている。その門内にはいって伸子たちはおどろいた。そこは廃園だった。楡の枝かげの雑草のなかに、壊れた大理石の彫刻の台座の破片が二つ三つころがっていて、茂みのむこうは、河岸通りの見える鉄柵だった。そこにネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の流れが見えていた。濃い夏草と楡の下枝のむこうの鉄柵ごしに見えるネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の流れは、伸子がほかのどこで見たよりも迅く、つよく流れているようだった。その水音が聴えて来るかと思うほどひっそりとした真昼の小砂利道は、ドアの片びらきになっている一つの戸口へ伸子たちを導いた。奥の方へつづいた大きい建物のはずれにあいているそのドアは、事務所めいたところがどこにもなくて、外壁に改めてかけられているレーニングラード※[#二分ダーシ、1−3−92]ヴ・オ・ク・スの札がなければ、あたりの人気なさは伸子たちに自分たちを侵入者のように感じさせそうだった。
 伸子たちは、タイプライターの音をたよりに二階の一つの広間へ入って行った。そこは、壁に絹をはった本式の貴族の広間だった。楕円形の大テーブルが中央に置いてあって、その上にきちんと、ヴ・オ・ク・スの出版物が陳列されている。そこを通りぬけた小部屋でタイプライターがうたれている。
 声をかけて、あけはなされているその室の入口に立ったとき、伸子はまた不思議な心持になった。若いきれいな女のひとがたった一人、そのバラ色で装飾された室の真中にフランス脚の茶テーブルを出して、その上でタイプライターをうっていた。なぜ、このひどく華奢《きゃしゃ》な、なめらかなこめかみに蒼みがかった金髪を波うたせている女のひとは、こんな室の真中でタイプライターをうっているのだろう。その若い女のひとのこのみが、そういう位置を彼女に選ばせているらしかった。伸子たちが、そのきれいな人とでは事務的にてきぱきとはすすまない話をしているところへ、外から、この室の責任者である中年の男のひとが戻って来た。淡い肉桂色のネクタイをして、手入れのよい鳶色の髪や白い額の上に、いまその下をとおって来た青葉のかげが映っていそうな風采だった。
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のブロンナヤ通りに面して、フランスまがいの飾りドアが、一日中開いたりしまったりしているモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]※[#二分ダーシ、1−3−92]ヴ・オ・ク・スの活況と、ここのしずけさとは、何というちがいだろう。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のヴ・オ・ク・スは、あぶくを立て湯気をたてて煮えたっているスープ鍋だった。ここの、廃園の奥にあるレーニングラード※[#二分ダーシ、1−3−92]ヴ・オ・ク・スは丁度手綺麗な切子ガラスのオードウヴル(前菜)の皿のようだった。よけいなものは何一つない。いるだけのものは揃えられている。――
 伸子と素子とは、毎朝九時ごろ、学者の家のごろた石をしきつめた裏庭をぬけて、レーニングラードのあっち、こっちへ出かけた。レーニングラード・ソヴェトのあるスモーリヌィや、母性保護研究所。「労働婦人と農婦」編輯局。郊外にあるピオニェールの夏の野営地など。
 伸子たちがそこへ行ってみたいと思ってヴ・オ・ク・スから紹介をもらったところは、どこもみんな、元ニェフスキー|大通り《プロスペクト》と呼ばれたレーニングラードの目抜きの場所から遠くはずれた街々に在った。冬宮のぐるり、目抜きの大通りは、人馬の物音をやわらげる木煉瓦でしきつめられていたが、壺売りの婆さんがジプシー女のようにサラファンの裾をひろげて大小様々の壺をあきなっている運河の橋をわたって、もう一つの地区へ出ると、そこはもうモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]がそうであるように、すりへったごろた石じきの町々であった。すりへったごろた石の間には藁くずや紙くずや乾いた馬糞がある。北の夏は、歩いている伸子たちに汗をかかせるほどではないが、埃っぽくむっとした街路のいきれが、彼女たちの靴を白くした。
 白麻のブラウスに、学生っぽいジャンパア・スカートをつけて訪ねて行ったさきざきで、伸子たちは、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で知らなかった発見をしたのだった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でも、伸子たちは随分いろんなところを見学した。とくに伸子は素子の倍ほども足で歩いて目で見て歩く仕事をしたのであったが、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ではどこへ行っても、そこに見出すのは、ソヴェト社会という大きな有機体の一部として不断に活動している一つのシステム、或はメカニズムだった。最新式の厨房工場《フアブリカ・クーフニャ》でも、伸子はそこで一日に幾千人分の食事が用意されどんなスティーム鍋がつかわれているかということを見た。そして、その工場はどういう各部の担当にわかれていて、そこに文学サークルと共産党細胞と組合地区委員会がある、ということを、長い廊下を案内されつつ理解した。また伸子は白い上っぱりと帽子をつけて大活動をしている三十人の人民栄養労働組合員も見たのであったけれども、みんなの活動があんまりきびしく組織されて居り、その活動にゆるみがなくて、伸子にふれて来るのは、一つの系統だてられた活動そのものだけで、活動している人の肌合いというようなものではなかった。児童図書館でさえも、それは同じだった。迅くまわっている自転車の輪のこまかい一本一本のスポークスが目にとまらないように、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で、人々は、一人一人が活動のなかへ消えこんでいるほどはげしく活動しつづけている。
 スモーリヌィへ行って、伸子たちは、はじめてレーニングラードの、テムポを理解した。スモーリヌィはもと貴族女学校で、十月革命の頃、ここに全露ソヴェトがおかれていた。歴史的な十月の夜、コサック革命軍の機銃にまもられていたスモーリヌィの正面玄関の柱列や、銃をかかえたまま無数の人々がそこを駈け上り駈け下りした正面階段には、伸子たちがのぼってゆく一九二八年の六月の或る朝、夏の爽《さわ》やかな光線と、微かに夏草のにおう微風があった。伸子たちは、スモーリヌィが見たいことと、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]では、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]・ソヴェトを訪ねたことがなかったために、そこの婦人部へ来てみたのだった。
 伸子と素子とは、その日一日だけ、スモーリヌィで過すつもりだった。都合によれば、数時間だけ。――ところが、伸子たちは、その翌日もまた次の日も、四日つづけてスモーリヌィを訪ねることになった。レーニングラード・ソヴェトでは、そのころ婦人部の仕事で農村婦人の政治指導者養成のための講習会をやっていた。レーニングラード附近の各地方ソヴェトから選ばれて来た婦人代表が五十人ばかり一クラスとなって、二週間の講習をうけていた。計らずそこへ現れた伸子と素子とは、翌日もたれる懇談会へ招かれた。懇談会へ傍聴に来ていた文化部の責任者から、その次の日、文化部を訪ねて来るように招かれた。四日目に、伸子たちは、十月革命の時期、レーニン夫妻が自分たちの室として住んでいたというスモーリヌィの、もと掃除女の部屋だった小室を見せて貰った。
 そんなことは、何ひとつヴ・オ・ク・スの紹介状には記入されていないことだった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]では、どこでも、紹介状の当てられたその部面だけが、伸子たちの前にひらかれた。一通の紹介状は二度役に立たず、二つの部門に共通しなかった。スモーリヌィでは、伸子たちの前に開いた婦人部のドアが、次から次へと別のドアを開き、次から次へと別の人が現れ、その人々は、それぞれ自分から説明し、伸子たちに訊ね、ちょいとしたユーモアをあらわした。文化部のパシュキンが云ったように。――パシュキンは、玉蜀黍《とうもろこし》色の髪の毛をポヤポヤさせた大きい体を、窓ぎわに立っている伸子にふりむけて、こう云った。
「さあ、どう思いますか、我らの達成[#「我らの達成」に傍点]は素晴らしいでしょう、ここにこういう手紙が来ましたよ、遠い田舎の女から……」
 |我等の達成《ナーシャ・ドスティジェーニア》という言葉は、そ
前へ 次へ
全175ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング