ニしては珍しく、決断のこもった調子の文章であった。字はいつもながらの字で、大いにテニスをやり、自転車をのりまわし、ドライヴもしてと書いてあった。伸子は、そのハガキを手にとって読んだとき、何となし唐突なように感じなくもなかった。けれども、伸子が保から来たそのハガキをよんでいるモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]は、もう夏だった。並木道《ブリ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ール》の入口に、赤と桃色の派手な縞に塗ったアイスクリームの屋台店が出て、遊歩道には書籍市が出来た。日曜日には菩提樹の下で演奏される音楽が伸子たちの部屋へもきこえた。レーニングラードへ行こうとしてその支度にとりかかっていた伸子は、保の夏のプランというものも、ひとりでに自分がその中にいるモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の夏景色にあてはめて読みとった。


    第三章


        一

 白夜の美しいのは六月のはじめと云われている。伸子と素子とはその季節に、二ヵ月あまり暮したアストージェンカの部屋をひきあげてレーニングラードへ向った。
 春とともに乾きはじめて埃っぽくなるモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]は、メーデイがすぎ、にわかに夏めいた日光がすべてのものの上に躍りだすと、いかにも平地の都会らしく、うるおいのない暑さになって来た。
 伸子たちは夜の十一時すぎの汽車でモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の北停車場を出発した。汽車がすいていて、よく眠って目がさめたとき列車の窓の外に見える風景が伸子をおどろかせた。列車は、ところどころに朽ちかけた柵のある寂しいひろい野原に沿って走っていた。その野原の青草を浸す一面のひたひた水が春のまし水のように明けがたの鈍い灰色の空の下に光っていた。瑞々しい若葉をひろげた白樺の林がその水の中に群れ立っている。白と緑と灰色の色調の水っぽくて人気ない風景は、いかにも北の海近い土地に入って来た感じだった。
 汽車の窓から見えた北の国らしい風物の印象は、レーニングラードという都会にはいって一層つよめられた。バルト海に面していくすじもの運河をもつこの都会は十八世紀につくられた。橋々は繁華で、いまは十月通りと呼ばれるもとのニェフスキー|大通り《プロスペクト》はヨーロッパ風だけれども、都会の目抜きなところがドイツをまねたヨーロッパ式でいかつく無趣味につくられているために、かえってネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]河やバルト海や、その都会をとりかこむ水の多さを感じさせる。レーニングラードには不思議に憂鬱な美しさがあった。
 伸子と素子とはレーニングラードのはじめの十日間ばかり、小ネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]河の掘割の見えるヨーロッパ・ホテルにとまっていた。そこで伸子たちに予想しなかった一つのことがおこった。或る朝、新聞のインタービュー記事で、ゴーリキイが、伸子たちと同じヨーロッパ・ホテルに逗留していることがわかった。
「へえ――じゃあ、もう南から帰って来ていたんだね」
「そうらしいわねえ」
 五月に五年ぶりでソレントからソヴェトへ帰って来たマクシム・ゴーリキイは、歓迎の波にまかれながら、じき南露へ行ってドニェプルのダム建設工事その他を見学していたのだった。
「――そうか」
 そう云ったまま黙って何か考えている素子と顔を見合わせているうちに、伸子の心が動いた。
「会ってみましょうか」
 伸子がいきなり単純に云いだした。どんなひとだか会って見ようという心ではなく、もっと対手《あいて》に信頼を抱いている素朴な感情から伸子はゴーリキイに会ってみたい心持になった。云ってみれば会いたくなるのがほんとなほど伸子はゴーリキイの作品の世界にふれていたし、ゴーリキイ展は伸子に人及び芸術家としてのゴーリキイに共感をもたせて伸子自身について考えさせたのだった。
「――どう?」
「ひとつ都合をきいて見ようか」
 明るく眼を瞠《みは》ったような表情を小麦肌色の顔に浮べて、素子ものりだした。
「われわれはいつがいいだろう」
「だって――。あっちは忙しい人だもの」
「むこうの都合をきいてからこっちをきめるとするか」
「そりゃそうだと思うわ」
 素子が小さい紙にノートの下書きをかいた。二人の日本の婦人作家が、あなたに会うことを希望している。短い時間がさいて貰えるでしょうか。御返事を期待します。そしてホテルの自分たちの室番号と二人の名をかいた。
「ところで、宛名、何て書いたもんだろう――いきなりマクシム・ゴーリキイへ、かい?」
 なんとなしそれも落付かなかった。
「グラジュダニン(市民)てこともないわねえ」
 区役所へでも行ったような不似合さにふき出しながら伸子が云った。
「タワーリシチじゃ変かしら」
「そのこころもちさね、土台会おうなんて――」
「じゃ、そう書いちゃえ」
「そうだ、そうだ」
 素子の書いたノートを、二人でホテルの受付へもって行った。そして、ゴーリキイの室の鍵箱へいれてもらった。ゴーリキイは八番の室であった。
 翌朝、伸子たちはその返事を自分たちの鍵箱に見出した。その次の日の朝十時半に、ゴーリキイは伸子たちを自分の室で待つということだった。
 伸子は白地にほそい紅縞の夏服をつけ、素子は、白ブラウスの胸に絹糸の手あみのきれいなネクタイをつけ、約束の朝の時間きっちりに、八番のドアをたたいた。
 白く塗られた大きいドアがすぐ開けられた。びっくりするほど背の高い、うすい栗色の髪をした若い男が、これはまたドアを開けたすぐのところに立っている二人の女があんまり小さいのにおどろいたようだった。
「こんにちは。どんな御用でしょう」
 こごみかかるようにして訊いた。いくらか上気した頬の色で素子が自分たちの来たわけを告げた。
「ああ、お待ちしていました。お入りなさい」
 狭い控間をぬけて、その奥の客室へとおされた。そこの窓にも小ネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の眺望があった。室のまんなかにおかれている大理石のテーブルの上に、どうしたわけかぽつんと一つ皿がおいてあって、ひと切れのトーストがのっていた。
 奥の別室に通じているもう一つのドアがあいた。ゴーリキイが出て来た。伸子たちを案内した若い背の高い男と一緒に。写真で見覚えているよりも、ゴーリキイはずっとふけて大柄な体から肉が落ちていた。同時に、薄灰色の柔かな布地の服を着ているゴーリキイには、写真でわからない老年の乾いた軽やかさがあった。二人つれだったところを見ると、一目で若い男がゴーリキイの息子であるのがわかった。二人とも背の高さはおつかつで、骨骼もそっくりだった。けれども、ちょっと形容する言葉の見出せないほど重々しく豊富なゴーリキイの顔と、善良そうであるけれどもどこか力の足りなくて、背がのびすぎたようなゴーリキイの息子とは、何とちがっているだろう。ゴーリキイ父子をそういうものとして目の前に見ることも伸子の心にふれた。ゴーリキイは大きくてさっぱりと暖い掌の中へ、かわりがわり伸子と素子の手をとって挨拶した。
「おかけなさい」
 そして、自分もゆったりした肱かけ椅子にかけながら、
「私の息子です」
 わきに立っている若い男を伸子たちに紹介した。
「私の秘書として働いています」
 多分このひとの子供だろう、ゴーリキイが、赤坊をだいてとっていた写真のあることを伸子は思い出した。
 ゴーリキイは、伸子たちに、ソヴェトをどう思うか、ときいた。
 伸子は少し考えて、
「大変面白いと思います」
と答えた。
「ふむ」
 ゴーリキイは、面白い、という簡単な表現がふくむ端から端までの内容を吟味するようにしていたが、やがて、
「そう。たしかに面白いと云える」
と肯いた。
「ソヴェトは、大規模な人類的実験をしています」
 そして、日本へ行ったソヴェト作家の噂が話題になった。また、日本で翻訳されているゴーリキイの作品につき、上演された「どん底」につき、主として素子が話した。
 素子は、素子の訳したチェホフの書簡集を、伸子は伸子の小説をゴーリキイにおくった。ゴーリキイは、綺麗な本だと云って伸子の小説をうちかえして眺めながら、日本の法律は婦人の著作について特別な制限を加えていないのかと素子に向ってたずねた。素子は、
「女でも自分の意志で本が出せます――勿論検閲が許す範囲ですが」
と答えた。ゴーリキイは、
「そうですか」
と意外そうだった。
「イタリーでは、婦人が著書を出版するときには、若い娘ならば父兄か、結婚している婦人なら夫の許可が必要です」
 そして、真面目に考えながら、
「それはむしろ不思議なことだ」
と云った。
「日本というところは婦人の社会的地位を認めていないのに、本だけが自由に出せるというのは――」
「それだけ日本が女にとって自由だということではないと思います」
 伸子が、やっとそれだけのロシア語をつかまえて並べるように云った。
「それは、古い日本の権力が、女の本をかく場合を想像していなかったからでしょう」
「――あり得ることだ」
 社会のそういう矛盾を度々見て来ている人らしく、ゴーリキイは、笑った。伸子たちも笑った。三人の間に、やがて日本の根付《ねつけ》の話が出た。はじめゴーリキイは、誰かにおくられて日本の独特な美術品のニッケ[#「ニッケ」に傍点]をもっていると云った。話してゆくと、それは根付のことだった。
 低い肱かけ椅子にかけているゴーリキイは顔のよこから六月の朝の澄んだ光線をうけて額に大きく深い横皺が見えた。ネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]河の小波だつ川面をわたって、ひろく窓から入っている明るさは、ゴーリキイの薄灰色のやわらかな服の肩にも膝にも落ちて、それは絨毯の上で伸子たちの靴のつまさきを光らせている。
 自分が話そうとするよりもゴーリキイの真率でとりつくろったところのない全体の様子を伸子は、吸いとるように眺めた。ゴーリキイには、有名な人間が自分の有名さですれているようなうわ光りが微塵《みじん》もなかった。ゴーリキイの全体は艷消しで、年をとったことで一層人間に大切なものは何かということしか気をとめなくなった人の、しんからの人間らしさ、その意味での気もちよい男らしさがあった。いろいろなことをつよく感じとりながら、ゴーリキイの精神には誇張がなかった。あぶなっかしい伸子のロシア語を、ゴーリキイは骨骼の大きい上体を椅子の上にこごみかげんにして、左膝へつっぱった肱を張りながらきき、あり得ることだと云って肯くようなとき、ゴーリキイの簡素さと誠実は伸子に限りないよろこびと激励を与えた。
 そろそろ暇《いとま》をつげかけたとき伸子がゴーリキイに云われて贈呈した小説の本の扉へ、ロシア語で署名した。書きにくい字が、改まったらなお下手にかけた。伸子はそれをきまりわるがったが、ゴーリキイは、ほんとにそんなことは問題にしないで、ゆっくり、
「ニーチェヴォ」
と云いながら、窓の方へ体をよじるようにして伸子の書いた字の濡れているインクの上を吹いた。それは自然で、伸子の心をぎゅーっとつかむような自然さだった。ゴーリキイに会っていると、伸子のよんだ作品の世界のすべてが、人間の多様さと真実性をもって確認される感じだった。
 ゴーリキイの室を出て、自分たちの部屋へと廊下を歩いて来ながら、伸子はうれしさから段々しんみりと沈んだ心持に移って行った。ゴーリキイの深い味わいのある艷消しの人間性にこのましさを感じたとき、伸子は反射的に、父の泰造にある艷を思った。泰造のもっている艷の世俗性が伸子にまざまざとした。そしてそこに赤インクのかぎが見えた。伸子はまばたきをとめて父の艷と赤インクのかぎとを見つめるような心持になった。
 一人の芸術家が、個性的だというような表現で概括されるうちは、そのひとの線はほそく、未発展のものだということも、ゴーリキイを見ると伸子に感じられた。
 それから五、六日後、伸子と素子とはヨーロッパ・ホテルから冬宮わきにある学者の家へ移った。レーニングラード対外文化連絡協会の紹介
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