サういう自分を軽蔑することを伸子が学んだからだった。
伸子と蜂谷良作とは、商業街の小商人たちが食事兼用談をする町角のカフェー・レストランで、簡単な昼食をとった。
「きょう、わたしは、ほんとすごいけち[#「けち」に傍点]なのよ。アントレまでは、さっきのきまりどおりよ」
「じゃ僕が葡萄酒とデセールをうけもつ」
つましい献立ながら、商談をしながら、それでもパリ市民らしく、昼飯を味っている中年の男女がこみあっている店内には、やすものの葉巻の匂いが立ちこめていた。伸子は、蜂谷良作につれられて、得体のしれないこんなごたついた場所で食事をしたりするのを面白がった。まだ佐々のうちのものがパリにいたころのある日曜日に、蜂谷は伸子を、有名な「のみの市」へつれて行った。伸子は、正体のわからないような古ものの間をのぞきこんで、いわゆる掘り出しものをすることに熱中するたちの女でなかった。それよりも「のみの市」からすこしはなれて、一廓を占めているパリ郊外の、労働者の日曜日の遊び場の光景が、伸子をその活気と無頓着さでよろこばせた。蜂谷と伸子とは、自働ピアノの鳴っているレストランの粗末な椅子にかけ、むき出しの木のテーブルに向って、そこで食べている人々のとおりに、生カキをたべた。あたりの人のたべかたをまねして、カキの貝殼を手にもち、そこにたまっている汁を吸ったとき、それはつめたく爽《さわ》やかで、海の香がした。帰りしなに、そのレストランの裏口のところを通ったら、日本の烏貝のような大きな黒い貝殼が山とすてられていた。
白い石の卓をさしはさんで蜂谷と向いあわせにかけながら、いまも、伸子は興味をそそられた顔つきで、まわりの光景を見まわしているのだった。こういう場所では伸子自身も見られているわけだったが、こだわらない楽な気分だった。
「――お金の話ばっかりのようね」
帽子かけには、パリの小市民の男がかぶっている黒い山高帽がかかっていて、ウェイタアの前掛も純白とはゆかないその店内では、伸子の耳もとらえずにいないほど活溌に数字をあげて金の話がかわされていた。しかし、伸子の小耳にはいる金高は、そのようなレストランにふさわしく、日常的な額だった。十月二十九日におこったウォール街の恐慌はその最悪の状態がまだ収拾されなくて、数日のうちに何百万という人々が五百億ドルから六百億ドル貧乏になりつつあった。ニューヨークの質屋が未曾有の大儲けをしていると報じられている折からだった。クラマール洗濯工場主ベルネが、十月三十日の夜、彼の商売のなりゆきについて心配したように、このレストランの帽子かけに、ずらりと山高帽をかけ並べている男たちとそのつれの女たちは、平凡な昼食をとりながら、フランスの経済と政治とを支配している十二人の大資本家たちの大釜から流し出される不安定な利潤について、議論しているのだった。
食後のアイスクリームがすんでしばらくすると伸子は、
「出かけましょうか?」
落ちついてタバコをくゆらしている蜂谷良作をうながした。恐慌がはじまってからのパリの目抜き通りは、どんなに変化しただろう。伸子はそれが見たかった。
八
シャンゼリゼーをとおってオペラへつきあたる大ブルヴァールの一つの角に、婦人靴専門店のピネがある。夏のころ、何心なく伸子が通りがかりにのぞいたら、「ピネの靴」を買っているアメリカの婦人客が、しゃれた肉桂色のカーペットがしきつめられている店内に群れていた。白い小さいカラーとカフスつきの黒い服をつけた若い女店員たちは、それぞれうけもちの婦人客の前におかれた足台に向ってひざをついて、とりかえ、ひっかえ新しい靴をためす客のあいてをしながら、忍耐づよく小間使いのように立ったり居たりしていた。
ガラス扉を押して入り、そのピネの店内を見て、伸子は、やっぱりそこに予期した光景を見出した。女が、きばって帽子や靴を買おうとするとき独特ののぼせかたで、足台を前にして群れていたアメリカの婦人客は、ピネの店から姿を消していた。気のきいた陳列棚、柔かい緑のビロードで張られている足台。閑散な店内で行儀よい売子たちは、ふらりと入って来た伸子のベレーをかぶった身なりと、そのあとについている蜂谷良作の服装を見て、格別、彼女たちの立っている場所から近づいて来ようともしない。
「てきめん[#「てきめん」に傍点]なものねえ」
店を出て伸子はむしろ感歎するようだった。
「ここでみごとな靴を買ってどこにも苦労の無さそうだった奥さんたち、いまごろアメリカでどうしているんでしょうね……」
マロニエの青葉かげの濃いころ、昼飯後のブルヴァールと云えば色彩的で、パリの午後をぶらつく各国からの安逸な人々によってかもし出される雰囲気に溢れていたものだった。きょう伸子と蜂谷良作とが、観察的にあたりを眺めながら歩いてゆくブルヴァールには、晩秋という季節のしずけさばかりでない沈静がただよっていた。歩道の人通りもぐっとへってはいるが、それより、伸子をおどろかしたのはブルヴァールに向っている有名なカフェーのテラスが、ほとんどがらあきなことだった。いつも空席が見つけにくいほど立てこんでいて、腕にナプキンをかけたギャルソンが軽快に陽気にその間をとびまわっていたオペラの角のカフェー・ド・ラ・ペイにしろ、ずっとはなれてエトワールに近いクポールにしろ、往来を眺めて椅子にかけているような人は、ほんの数えるしかなかった。その人たちのなりは、黒っぽく、大半が壮年を越した年輩の人だった。ブルヴァールせましと歩いていたあの薄色の派手なスーツの若い連中、享楽こそモラルだというような眼つきをしてソフトを斜めにかぶって歩いていた連中は、みんなどこかへ行ってしまった。
「パリがパリの人たちのところへ還って来たのね」
「しかし、こんな風じゃ、やっぱり困るんだろうな。何て云ったってフランスは遊覧客のおとす金とアメリカが買う贅沢品で、バランスをとって来ているんだから」
リボリやブルヴァールの高級装身具店は、恐慌などに浮足たたない誇りをもって豪奢な店飾りをしている。
ブルヴァールを中心として、伸子はあの通りからこの街すじへと、思いつくままに曲ったり、つっきったりして歩いてゆく。蜂谷良作は、あきる様子もなくそれにつきあっているのだったが、
「佐々さんと歩くのは、おもしろいね」
と云った。
「出たらめみたいなくせに、こうしてみると、一種のかん[#「かん」に傍点]で歩いている」
「――わたしが読めないからだわ。眼と足とで見るしかないからよ」
「そうばかりじゃないな。――部屋をみて歩いていたときね、あのとき僕は気がついたんだ」
伸子は、ぼんやり、
「そうお」
と答えた。クラマールへ引越してゆくことがきまる前、伸子の部屋さがしを蜂谷がたすけた。二人づれで歩いて、いくところ見ても、伸子の住めるような場所が見つからなかったとき、伸子は、蜂谷をいつまでもきりのない仕事にひっぱっておいてはわるいと思って彼のたすけをことわろうとしたことがあった。そのとき、蜂谷良作は伸子のことわろうとしている意味をさぐるように伸子をみて、ゆっくりと、
「僕は、あなたのように事務一点ばりには考えていないんだがな」
と云った。蜂谷のその言葉を、伸子はその日の会話の全体のなかへ流しこみ、とかしてしまった。いまも、伸子は、忘れていないそのときの蜂谷の言葉を忘れたように、そうお、と答えたぎりで、歩いているのだった。
ソヴェト映画の「アジアの嵐」を見おわって、伸子と蜂谷良作が往来へ出たのは、その日の宵も、やがて九時近い時刻だった。
「ああ、おもしろかった!」
映画館内の空気から解放されると、伸子は、秋の外套をきている体をのばすようにして歩きながら云った。
「面白かったわ。『アジアの嵐』をああいう風にカットしなければ、フランスでは観せられないのねえ。何てお気の毒!」
「フランスは植民地問題じゃ、いつも神経質なんだ。――よく蒙古独立なんか扱ったものを公開したと云えるぐらいだ」
蜂谷良作が、「アジアの嵐」へ伸子を誘ったのであったが、スクリーンを見てゆくうちに、伸子は、いくども、
「あら。また飛ばしちゃった!」
並んでかけている蜂谷に注意した。エイゼンシュタインが製作した「アジアの嵐」は、蒙古人民が植民地としての隷属に反抗して、独立のために奮起する物語がテーマだった。「十月《オクチャーブリ》」につぐエイゼンシュタインの代表作と云われていて、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]第一ソヴキノ映画館で伸子がそれを観たとき、彼一流の辛辣な諷刺が、画面をきもちよくひきしめていた。西洋式の寝室の大鏡の前に立って、どこにも美しさのない大柄な老夫人が、小間使にコーセットの紐をしめさせている。鏡の中の自分を見つめながら、もっとかたく、もっと細く、と口やかましく指図しながら。するとそのとなりの室のこれも大鏡の前で、大きい髭をはねあげた老紳士が、侍僕あいてに、だぶつく腹に黒繻子の布を巻きつけて威厳ある容姿をこしらえている。「野蛮な蒙古」のわるくちを云いかわしながら、ダライラマの謁見式に出かけるために、身仕度をしている外国使節夫妻の寝室の情景は、一方、かれらに観せるために準備中のラマの踊りの原始的でありグロテスクである扮装の次第とたくみに対置されていて、観衆は、ヨーロッパの野蛮、について感銘をうけずにいられなかった。
シャンゼリゼー映画館のふっくりした坐席で、場内のうすら明りに緊張した顔をてらされながらスクリーンを観ている伸子の唇から、
「あ、とばしちゃった!」
鋭いささやきが洩れたのは、「アジアの嵐」の印象づよいその部分が、完全にカットされてしまったからだった。帝国主義のもつ未開とのコントラストを消されてしまったラマの踊りは、ただ未開アジアの異国風景だった。「アジアの嵐」という一篇の物語の筋は、場面場面の変化につれてのみこめるけれども、エイゼンシュタインが、ひとこま、ひとこまを、強烈に構成して、観衆の実感を湧き立たせたアジアの嵐への呼びかけは、全く気をぬかれてしまっているのだった。
伸子は、蜂谷良作に向って熱心に、パリの「アジアの嵐」ではカットされている部分の面白さや意味について話すのだった。
「エイゼンシュタインは、『十月《オクチャーブリ》』でも、そういう手法をつかっているんです。パッ、パッと、ツァーの写真と日本のおかめ[#「おかめ」に傍点]の面なんかが、かわりばんこに出たりするの。すこし観念的みたいなところがあるけれども、でも、雄弁よ。あんなに切りこまざいた『アジアの嵐』では、まるでアジアに嵐がおこって来る必然性を消しちまってあるんだもの――自然現象みたいに、まるで、ひとりでそんなことが蒙古では起るというお話みたいにごまかしてあるわ、民族の独立ということを――」
話の内容にふさわしい元気な、比較的速い足どりをそろえて、二人はコンコード広場をセイヌ河にかかった橋の方へつっきっているところだった。
「しかしまあ、パリでは、ああいうものも見られるだけいいとするのさ」
蜂谷良作の分別くさい云いかたが、ふと伸子の反駁を誘った。
「……蜂谷さんのような、学者っていうものは、何にでもあんまり感動しない習慣?」
「そんなことあるもんか」
「そうかしら。――わたしからみると、あなたがたは、何となし、自分にわかったことの範囲でおちついているみたいなんだけど」
「たとえば、どういう場合?」
「いまみたいな場合。――あなたは、肝心のところがカットされていても、ともかくここで『アジアの嵐』が見られればまあいいって、おっしゃるでしょう? わたしなら、そういうとき、きっとどうかしてカットのないのが見たい、と思うと思うわ。カットは、映画にされているばかりじゃないんだもの。そして、その気になれば、見られるんだわ」
「どういう風にして?」
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ行ってみればいいのだ。けれども、伸子はそのことについてはだまった。二年以上もパリにいる蜂谷良作が、まじめにそれを希望
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