ゥら自分だけ藤原威夫の住居へ行って、一日じゅうそこにとどまっていたということは、伸子に、意外というよりも複雑なニュースだった。何の意味があって多計代は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でそんな、こと更らしいふるまいをしたのだろう。
 ことしのはじめ、伸子が肝臓炎になってモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]大学の附属病院に入院していたころ、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]駐在の日本大使館づき陸軍武官は、二人に増員された。酒のみで、いつも豪放|磊落《らいらく》らしくふるまっていた木部中佐を補佐する意味で新しく赴任して来たのが陸軍少佐の藤原威夫だった。そういうことについては何にも知らず、一月はじめから入院生活をしていた伸子は、病気がのろのろと恢復しつつあった二月末のある日、突然、藤原威夫の訪問をうけた。彼は初対面の伸子に、自分を全く個人の資格で紹介した。昔から佐々の家庭に出入りしているある男の長男が、偶然藤原の細君の妹にあたる娘と結婚することになったことから、その披露の席で藤原威夫も佐々泰造と多計代とにちかづきとなった。彼がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ赴任すると知って、ぎりぎりの出立前夜、多計代が藤原威夫の家を訪ね、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ行ったらぜひ伸子の様子を見て、こまかに知らせてほしい、とたのまれたので、と。
 藤原威夫の禅坊主のような骨の高い頭のてっぺんは、まじめな軍人として、軍帽ばかりかぶりつづけて来た男らしく、年に似合わず薄くなっている。万事が周密で、粗大なところのない口調だった。そのなにげない話しぶりで、彼は、そのとき、伸子に、日本の天皇についてどういう考えをもっているかと質問した。一九一七年にロシアはツァーを廃した。フランス革命はルイ十六世をギロチンにかけた。伸子は、ソヴェトの社会に共鳴しているときいているが、日本の天皇というものは、どう考えているか、というのだった。伸子は、本能的な警戒を感じた。自分の思想[#「思想」に傍点]が、軍人によってしらべられている、その事実をはっきり感じた。
 革命の理論として日本の天皇についてまとまった認識をつかんでいない伸子は、はげしい警戒心に刺戟されて、むしろ逆襲的な反問をした。日本とロシアとは、それぞれ別の条件に立っているのに、なぜ天皇について、ここで論じなければならないのか、と。藤原自身、日本の天皇はツァーと等しい悪い存在だと認めているのだろうか、と。
 藤原威夫は、冷静に伸子の云いかたを計ってきいていたが、やがて、あなたが社会についてどう考えられるのも自由だが、天皇の問題だけは慎重に扱われたがいいですよ、と云った。そして、改正される治安維持法では、第一条に国体の変革ということをおいて、きわめて重刑である、と告げたのだった。
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で生活しはじめてから十五ヵ月たつうちに、おのずから会得されて来ているソヴェト社会の常識から、伸子は藤原威夫の訪問を、迷惑に思った。多計代が、わざわざたのんで、藤原威夫に自分を見舞わせたりする、その心配[#「心配」に傍点]を迷惑に思った。そして、彼が忙しいと見えて、病院へ一度来たきりであったことを、――下宿へ訪ねて来たりしなかったのは、たすかったと思ったのだった。
 藤原威夫がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ赴任して来たのは、東支鉄道の問題で、中国の蒋介石政府とソヴェト同盟との間に紛争がきざしはじめた折からだった。佐々の一行がパリでペレールに住んでいたこの夏に、ソヴェト同盟と中国とは国交断絶した。東支鉄道問題で蒋介石政府を支援して、ソヴェト同盟との紛糾を長びかせているのは、中国のそとの帝国主義の国々であることは、パリにいてモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の外からそのいきさつを見ている伸子に、はっきりわかった。パリに「プラウダ」はなくても、事実は「リュマニテ」が語った。
 多計代が、シベリア鉄道へのりつぐためにモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で過す十二時間を、藤原威夫のところで過した、ということは伸子の予想さえできなかったことだった。パリの生活で、伸子は、藤原威夫の存在をほとんど忘れていた。けれども、多計代は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]、そこに藤原威夫がいる、と、その一つに焦点を合わせたようにして、彼と連絡したのだ。
 伸子には母のやりかたがおそろしかった。多計代は、いつの間にモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の藤原威夫とそんなうちあわせをしていたのだろう。シベリア鉄道で帰るときめてから、多計代は、伸子に一緒に帰ろうとすすめなくなった。いろいろの手伝いはさせながら。伸子と自分たちとは、わけるように、わけるようにした。伸子はそれを不思議に思いながら、結局自分がひとりでモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰ろうと思っている計画がたやすくなったとしか、考えなかった。けれども、多計代は伸子をパリにおいておいてモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の藤原威夫に会う計画だったのだ。それは何のためだろう――。
 明るい昼の雨にぬれて赤銅色にそまっている秋の梢を眺めながら、伸子は、指先のつめたくなるような思いに考えしずむのだった。自分がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でもパリでも、どんな政治的な団体にも連関をもっていないことは、何とよかったろう。さもなければ、パリで毎日数時間ずつ伸子と一緒に暮していた母親が、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ着くなり、日本の諜報者としての任務を帯びて駐在している藤原威夫のところへ自分だけ行って、午後じゅうそこに留まっていたなどということは、第三者として伸子がきいても単純に解決されにくい、おかしな動きかただった。多計代は多計代らしく考えまわして、泰造はたよりにならないと思い、これだけはわたしひとりで、と思いこんだことがあったのだろう。素子からの手紙で、思いがけないことをはじめて知った伸子は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で母親をそんな度はずれに行動させたひそかな動機は何なのだったのだろうと、考えこまずにいられないのだった。
 伸子はくりかえしてはじめから素子の手紙へ目をとおした。つや子にことづけてやったお土産袋を、素子はうけとっているのだろうか。半ペラの原稿紙五枚に、こまかくつまっている素子の手紙のどの行にも、伸子が自分で縫って金色のリボンでくちをしめたお土産ぶくろについては書かれていなかった。

        七

 四、五日たった日の午前も、もうおそい時間のことだった。日仏銀行の表口から伸子が蜂谷良作とつれだって人通りのはげしいカンボン街へ出て来た。
 伸子のハンド・バッグにはたったいま、九十九円七十五銭という小切手をフランにかえたばかりの現金がはいっている。マデレーヌの広場へ向う歩道のはずれに立って、自動車の流れをつっきろうとしているひとかたまりの男女にまじりこみながら、伸子は蜂谷良作に、
「おひるは、わたしが御馳走いたします」
と云った。
「でも、すこし風変りなのよ、日本のお金で七十五銭だけの御飯をたべるの、それでもよくて?」
「七十五銭?――六フランとちょっとだな。……しかし、どこからその七十五銭てきまりが出たんです?」
「吉見さんが、九十九円七十五銭の小切手をくれたんです。そのしっぽの七十五銭というわけなの」
 伸子がおもしろがって、二人で六フランという粗末なひるめしを計画するには、わけがあった。吉見素子はこれまで翻訳ではいくつかの仕事をして来ていたし、その力量にも一定の評価をうけていた。けれども、自分で書いた創作も評論もなかった。わたしは、翻訳だけしか出来ない人間なのかい、そんなのいやだよ。駒沢に暮していた時分にも、折々素子がそう云うことがあった。ぶこちゃんが書くひとなのが、その点ではよし、あしだ。知らず知らず、わたしはすくんじまう。
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来てからも、素子は何もかかなかった。どうして? それほど文学ニュースを知っていて、もったいないのに。書けば、みんなの役に立つのに。ロシア語がよく出来ない伸子は、時には素子の雑談さえ、日本へしらせればいいのに、とすすめた。それでも何一つ書かなかった素子が、この夏、伸子といっしょにロンドンへ行って、そこから先に一人でモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰って来てのち、ソヴェト文学の最近の動向についての評論をかいた。それが文明社の綜合雑誌にのった。そしてモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の吉見素子へ原稿料がおくられて来た。九十九円七十五銭は、その原稿料なのだった。これはおはつ[#「おはつ」に傍点]だから、みんなぶこちゃんに進呈する。素子の手紙にはそう書かれていた。いつも書くことをすすめていてくれたのは、ぶこだから。そして、ぶこがそっちにいて、わたしは一人だもんだから、話しあいてもなくて、ついそんなものを書いてみる気にもなったんだろうから、と。
 伸子は、はじめどこか上の空のような視線でその小切手を眺めた。その小切手が送られてきた手紙が、同時にモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ着いた日の多計代の行動を知らしていたのだった。
 伸子は、ベルネの二階のせま苦しい机の上で、絵入りの礼手紙をモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の素子にあてて書いた。中央にはモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の小さい四角な換気窓《フォルトチカ》のついた二重窓に向って、あちら向きに机についている素子の後姿がある。伸子は首を曲げまげ、素子の特徴である撫で肩の工合が、そっくりのように描いた。そのぐるりの、ふち飾りのようにして、いろんなものを描いた。クレムリンの城壁とその城壁の上空にひるがえっている赤旗。素子がパリにいたころ、ヴォージラールのホテル・ガリックの七階の暑い部屋のテラスから二人で見晴したパリの屋根屋根。そこに林立している無数のパリ独特の細い煙突。はるかなエッフェル塔と、それに加えて伸子は、もらった小切手で買おうと思っているマチスの素描集の表紙の絵をかき添えた。そして、地図の丸い目玉をかいてヴェルサイユ門と註したところから、おもちゃの電車が走ってクラマールへついたところに、ベルネのお婆さんのふくらんだ大前掛の姿が現れ、でこぼこの大きい西洋梨があり、「資本論」がある。それらは、伸子がこれまで書いているたよりの中で、みんな素子に知られているはずのものばかりだった。
 弱い、不確なペンの線で、次から次へとそんなものを描いているとき、伸子の心は涙ぐんで、最初の九十九円七十五銭を自分にくれた吉見素子のこころもちと、絶えずいかめしく、娘である自分を警戒している母の多計代のモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]での仕うちとを、思いくらべたのだった。
「ですからね、わたしは、きょうの八百五十六フランは特別大切に使うの」
「ふーん。きみたちの間には、そういうこころもちがあるのか」
 蜂谷良作は、
「吉見君にも、あれでなかなかいいところがあるんだな」
 むしろ感慨ふかそうに云った。
「そうでなくて、どうしてこんなに長い間暮して来られるもんですか」
「そういうわけだな。――そりゃ、たしかにそうだ」
 深く会得するように、蜂谷良作はうなずいた。素子が、あれで、思いもよらないとき急におこり出したり、おこると、そのおこりかたがひどくて、妙にぐらん[#「ぐらん」に傍点]と居直るような切ないところさえないなら……。たとえ、こういう小切手をもらい、それを心からうれしいと思っても、そういうときの素子に、伸子がついて行けないことに変りはなかった。そのついて行けなさは、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]生活の間に伸子の側で強くなって来ている。あいてが誰であるにしろ、ひとからおどかされて泣いたりするような自分、
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