ヘ、きたないズボンの両膝を立てた上へ顔を伏せて眠っている男もあれば、肱枕で体をよこにしている男もあった。新聞紙をひろげて、パンの皮をかじっている男もあった。日曜日の朝日に正面からてらされながらその石段にすずなりになっているのは、よごれてぐったりした男たちばかりだった。
「金でももらっていましたか」
「いいえ。ロンドンでは、乞食でも、歩道の上に色チョークで色んな絵をかいて、その上に、ありがとう《サンキュー》って書いて、じっと坐って待っているのよ」
 何と皮肉だったろう。歩道に描かれているそれらの色チョークの絵はいわゆるイギリス風の趣味で、ヨットの走っている風景だの、羊のいる牧場だの、サラブレッドのつもりの馬の首、立派な犬などだった。
「それほどかなあ」
 蜂谷は考えこんで歩いた。
「佐々さんは、マクドナルドの公約破棄の証人の一人だっていうわけだな」
「そうよ。『ワーカアス・ライフ』がおこって、書くはずなんです。『賃銀は低下しなければならない』ボールドウィン。『|然り《イエス》。しかし仲裁裁判によって』マクドナルドって。――独立労働党と少数運動者は、盛にそんな仲裁裁判は不当だって云っていました」
「そんな風なんだろうなあ。イギリスの労働党や労働組合《トレード・ユニオン》は一九二七年のあれだけの炭坑ストをつぶして味をしめたから、今じゃ、国家経済会議の中で勢力を占めるのが目的だものね」
 伸子は、しばらくだまって歩いていて、
「蜂谷さん、わたし、つくづく変だと思うわ」
と云った。
「どうしてあなたは、どこへもいらっしゃらないんでしょう。イギリスだって見ておいていいと思うわ。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいるとき、あれほどアムステルダム参加の黄色組合は、労働階級をうりわたしているって聞いたりよんだりしていたけれど、実際、ロンドンへ行ってみてそれが本当だっていうことが、しんからわかったわ。ロンドンにいる日本のえらい方たちは、まるでマクドナルドの従弟かなんかみたいに、第三インターナショナルを気ちがいあつかいにしていらっしゃるけれども、あんまり本当のことをはっきり云われるので、にくらしいのね、きっと」
 蜂谷良作もおとなしく左わけにしている茶っぽい柔かな髪を手の平で撫でながら、
「辛辣なんだなあ」
と笑った。
「ごめんなさい」
 こだわったところのない快活さで伸子も笑いながら、蜂谷を見上げた。
「わたし、つい、ここまでいっぱいだもんだから」
 藍色と白のまじった変り編みの毛糸ブラウスを女学生らしく着こなしている伸子は、ふっくりした顎の下へ自分の手の甲をあてて見せた。
 伸子と蜂谷良作が話しているところは、モンソー公園の最も美しい場所とされている池のわきだった。岸に柳が長く垂れて、睡蓮の葉が浮んでいる池のおもてに、円柱の列が、白い影をおとしている。木洩れ日でぬくめられている石のベンチに、二人はかけていた。日本で云えば、はじ[#「はじ」に傍点]に似た高い樹の梢が金色にそまっていて、水にうつる影の中で大理石柱の白さや、そこに絡んでまだ紅葉には早いつた[#「つた」に傍点]の葉の青い繁りを、あざやかにひきたてている。
 伸子はパリへかえって来る早々、こんなにして、蜂谷と話し込むことがあろうと思っていなかった。パリで蜂谷にまた会うことがあるかないか、それさえ伸子は気にしていなかった。けれども、偶然こうして会って話していると、素子と一緒に暮していたら毎日なしくずしに彼女に話さずにいなかっただろうと思われるロンドンでの印象を、伸子はみんな蜂谷にきかせることになった。素子がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ立ってから、伸子はほとんど隔日にロンドンだよりを書いていた。ここで蜂谷と話しているようなことは、その中で一応みんなかかれたわけなのだけれども、声に出して、機智くらべになってゆくようなけわしさなしにもういっぺんそれが話せることは、人なつこい伸子にとって、自然で心地よかった。
 それにしてもロンドンで会った人たちは、どうしてあんなに伸子を負かそうとするように話す人たちだったのだろう。世界のあらゆる出来ごとについて、イギリスの支配的な階級の常識に準じて判断している自分たちだけが、現代で最も正しい分別をもっている人間なのだ、という風に。――
 おのずと考えの流れが一つの方向に動いたように、蜂谷は、
「ロンドンに、いったいどんな連中がいるんだろうな」
と云った。しいて返事を求めないようなその云いかたには、進んでは訊きにくいところもあるが、訊いても見たいという蜂谷の気分が感じられた。
「木村市郎――御存じ?」
「ジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいたんじゃないんですか」
「あのかたは顧問だから、ジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]には、国際連盟の会議のときだけ御出張なんですって」
 木村市郎は、数年前、債務整理のために表面上の破産をした小富豪だった。いくつかの銀行の頭取をしていたのをやめてから、夫婦づれでロンドンへ来て、閑静なマリルボーン通りのフラットに一家を構えていた。そして、彼ら夫妻が自家用自動車をもっているわけではないが、ロンドンのクラブ街として有名なペルメル街の自動車クラブの客員になっていて、ロンドン在住の日本人と一部のイギリス人の間に、一種の社会的存在であった。
「木村さんは、『|公平な競争《フェアプレイ》』なんて言葉は、イギリスではもうフットボールのゲームのときにしかつかわないってお説でした。ジェントルマン(紳士)という字は、トイレット用にすぎないってイギリス人自身が云っているんですって――」
「ふーん」
「ほら、蜂谷さんも毒気をぬかれちゃった!」
 伸子はおかしそうに声をたてて笑った。
「そこが木村さんの話術なのよ。金持だった木村市郎って名を知っていて日本から訪ねて来るジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]参りの人たちは、その一発で、木村さんを凄い急進派だと思ってしまうのよ。これは社会主義だ、と思うのよ。だから、あとから段々木村さんが、イギリスの商魂《マーチャント・スピリット》ということを云い出してね。しまいに、労働問題でなやんでいる代表たちに、資本家が普通の金利七分から八分を得ようとするのは合理的で世界共通の当然のことなんだから、労働者に、その決算報告を公開して、それでも承知しないんなら、労働者の方がわるいんだ、と云うと、きいている人は、それも社会主義的な考えかただと思ってしまうらしいんです。木村さんは、こんなにわかりやすいことをききに、僕のところまで来るんだからって、あきれたように、お得意だったことよ」
 蜂谷良作は、大きな声を出し顔を仰向けて笑った。伸子がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]からロンドンへ来ている者だということにこだわって、木村市郎は執拗なぐらい独裁ということへ非難をもって行った。イタリーのムッソリーニの独裁と、プロレタリアートの階級としての独裁をごっちゃにしていて、伸子がその点をさすと、木村は、どっちだって、独裁――ディクテーターシップというからには同じことさ、と云ってアーム・チェアの上に胸をはった。そして、そのころ話題になっていたオールダス・ハックスリーの「ポイント・カウンター・ポイント」という長篇小説を伸子によめとすすめた。日本では、ソヴェトのまねをしてプロレタリア小説だの何だのとさわいでいるが、よめたものじゃない。ハックスリーは、さすがに堂々とかいている。要するに、われわれの階級と労働者階級とは、ポイント・カウンター・ポイントだ、というのが真理だね。けっして、一本になることのない双曲線だというわけだ。ところが、そういう対立があるからこそ、互に協調してやって行こうとし、やっても行ける。というのがイギリスの商魂なんだ。お互がちがうから独裁《ディクテーターシップ》がいるとわめくのは、第三インターナショナルのやりかたさ。債権者や預金者に対しては破産しても、私生活では小さいながら富豪である木村の見解はそういうものだった。
「木村さんていう方の専門はなになのかしら」
「さあ、大学では経済をやっていたんだが――ちょっと新人会あたりに首をつっこんだこともあったらしい」
 蜂谷は、考えていて、
「利根亮輔に会いませんでしたか」
と伸子にきいた。
「会いました」
「何していました?」
 研究は何をしていたか、という意味だろうということはわかったが、伸子にはすぐ返事ができなかった。
「これは失敬したかな。佐々さんにきいたって無理だろうなあ」
「そうだわね」
 ひどく素直に伸子が承認した。
「わたしにはわかっていないわ」
 研究の題目がわからないばかりでなく、利根亮輔その人全体が男としても、学者としても、伸子にはわかるようで、わからないのだった。
「あの方は、ある意味で、学問についても人生についても好事家《ディレッタント》なんじゃないのかしら」
 だまったまま、蜂谷良作は両方の眉をしかめるような眼つきで伸子を見た。
「利根さんてかた、何をしても、何かそこで味わうものを発見して、そういう風に味わえる自分の能力を味わうっていうタイプじゃないのかしら」
 利根亮輔は大英博物館の図書館に近いところにある下宿のようなホテルに住んでいた。そして、毎日、数時間、図書館で勉強していた。マルクスは、イギリス経済学の正統学派から彼の価値論を発展させて来ている。リカアドからマルクスが自分の説を展開させて行ったつぎ目のところに、まだひとが研究していない点がのこされていると、利根亮輔はいうのだった。マルクスと云えば、歯がたたないものときめてしまって、ろくに勉強しようとさえしないけれども、その後光にたえるつよい知性があってよく見れば、マルクスの価値説にはある種の独断もあり、すきもある。リカアドから強引にねじって、もって来られているところがある。それを一つほじくりかえして見てやろうと思って。――
 そういう利根の調子には、こんにちマルクス主義者とよばれている人々へのひそかな軽蔑が感じられた。利根は、彼独特の繊細な方法で、第三インターナショナルぎらいを表現している。伸子はそういう風に感じとった。
「しかしね、彼の場合はあながち、そういう意味からだけやっているんでもないと思える点もあるんだ。たしかにマルクスの理論は、学問として、もっと研究されていいのは事実なんだ」
 蜂谷自身、そういう研究題目にひかれているところもある声だった。
 かけている石のベンチにおちていたつた[#「つた」に傍点]のわくらばを指の間にまわしながら、伸子はふと沈黙におちた。彼女の前には、傾きはじめた午後の日ざしに、大理石柱の白い影を光らせている池のおもてがある。髪を苅りあげている伸子のさっぱりした頸すじに、ななめよこから西日がさしている。気づかないでいるけれども、伸子の耳たぼは西日にすかれて、きれいに血色を浮かしている。落葉のあるベンチの前の土の上を、蜂谷は、往ったり来たりしていた。帽子を、伸子のわきに、ベンチの上においたまま。

 利根亮輔と伸子とのロンドンでのつき合い。――あれは、ほんとうは、どういうことだったのだろう。伸子は、モンソー公園の静寂の中で、それを思いかえしているのだった。
 丁度、「プラウダ」に出たブハーリンに対する日和見主義と偏向に対する批判が、各国新聞のニュースになって、伸子をおどろかしていたころだった。「史的唯物論」「共産主義ABC」とブハーリンの本をとおして共産主義に近づいて行った伸子にとって、「プラウダ」の批判は、正当だと思えるだけに、大きい衝撃だった。その衝撃は、自分の善意にしろ、理論的なたしかさをそなえていなければ、いつどこへ引こまれるかも知れないものだということについて、伸子に厳粛な警告を与えるのでもあった。
 利根亮輔は、その問題について、ブハーリンの理論そのものがもっている誤りと危険について知ろうとするよりも、彼らしく、ロシア共産党の機関の決定の独裁性ということにこだわった。
「伸子さんみたいな、
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