チて来て、タバコや小銭をせびる浮浪児たち。道ばたでやたらに唾をはいているよっぱらい。よっぱらいの中には、年とった売笑婦らしい女も見えた。「質屋」の電気看板。「ベッズ」と看板を出している木賃宿。その明暗のなかに数知れない男女の失業者と宿なしとを包んで、ゆれているホワイト・チャペルの大通りの黒い人波の上に、そこだけ火事になっているように赤い光で夜の闇をこがしながら、イルミネーションの十字架が大きくきらめいていた。
 つや子はバスでひとめぐりしている一時間半ばかりの間、ひとことも物を云わなかった。街にあふれ出ている陰惨におどろき、むき出しの荒々しい生存からうける感銘が、つや子の少女の額に刻まれた。伸子はせめてつや子の心へのおくりものとして、このロンドンでの一晩の見物を計画したのだった。伸子は、不自由なく親と外国旅行をしているようには見えても、真実にはいじらしい立場にいるつや子が生活というものについて理解をもち、自分の生活を自分でまかなってゆく必要を知るようにと、伸子はねがっているのだった。つや子は女の子だから。そして、末娘だから。自分の力で女が生きにくい日本の社会であり、家族の制度であるだけに、伸子は年下の妹の将来に、女としての実力がゆたかであるように、と願わずにいられないのだった。
 ロンドンでの三度目の日曜日のことだった。伸子は泰造とつれだってケンシントン・ガーデンの奥の草原を散歩していた。昼寝をしかけていた多計代とつや子とには、四時すぎに、喫茶店で落合う約束で、父娘二人は、のんびり樫の大木の間をぶらついた。いつもそのあたりは人気が少くて、伸子たちから見えるところに、一人の銀髪の老人が、指環のはまった手をのばして、栗鼠《りす》に南京豆をやっていた。ととのった服装のその老人は、気が向くとここへ来ては、樫の大木の根元に立って栗鼠を対手にいくらかのときを過しているのだろう。樫の枝の上からじっと下を見ていて、やがて用心ぶかく幹をつたわっておりて来た一匹の栗鼠は、いくたびか近づいたり遠のいたりしてしらべてから、素早く老人の体をかけのぼって、掌にある南京豆をたべはじめた。南京豆をたべるときの栗鼠は、樫の枝の上にいるときと同じように、老人のカフスの上に後脚で坐って、太い尻尾を立てて、二つの前肢の間に南京豆を捧げもって、小刻みに早く口をうごかした。一つたべ終るごとに、栗鼠は必ず一度草原へ下りて、樫の枝まで戻るのだった。
 泰造と伸子は、おもしろくその光景を眺めながら遠くに佇んでいた。
「こういうところがイギリスだねえ」
 泰造の声には、羨しさがこもった。
「どこへ行っても大戦後は変ったというし、また事実かわってもいるが、やっぱり|同じ昔のイギリスの樫《セーム・オールド・イングリッシュ・オーク》はそのままだ」
 なお草原にじっと立って、幾度目かに栗鼠が掌の南京豆に向っておりて来るのを待っている老人から歩き去りながら、泰造が伸子にきいた。
「伸子、きのうパスポート(旅券)の査証をし直しに行ったのかい?」
「ええ。どうして?」
「ホテルのカウンタアで昨夜注意してよこしたから……お前の旅券は、イギリス滞在に期限つきだったんだね。知らなかった」
 クロイドンの旅券査証所は飛行機から降りて来た伸子の旅券に「三週間を越えざるイギリス滞在を許可する」と書いてスタンプを押したのだった。
「お父様たちのは、どう? 無期限でした?」
「もちろんそうだよ」
 それが、当然であり、伸子が期限つきの入国許可をうけているというようなことは、泰造として心外であり、傷つけられることでさえもある。父としてのそのこころもちと心配が伸子を見る目の中によみとられた。
「どういうわけなんだね、それは」
「たいした意味はないでしょうと思うわ。わたしはお父様たちのようにパリから来ているのじゃなくて、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から来ているわけでしょう? イギリスとソヴェトとは一九二六年に国交断絶したまんまなのよ、いまのところ。だから、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から来たものは、日本人だから入国はさせるようなものの、ちょいと期限をつけておきたいんじゃないの」
「それだけの理由かね?」
「ほかに何かあるとお思いになる?」
 泰造はだまった。伸子は直感するのだった。期限つきの旅券のことから、泰造はまた伸子の「思想」について気にしているのだ、と。泰造の感情に、また赤インクのかぎが、あらわれそうになっているのだ、と。
「お父様、ほんとに心配なさらないで頂戴《ちょうだい》――。どこをさがしたって、わたしにはそれよりほかの理由はなくてよ」
「それならいいがね――しかし……」
 泰造は、ソフトをぬいで、重い、禿げた頭を曰くありげにふった。伸子は、泰造を安心させるために云った。
「イギリスは、日本とちがうのよ、お父様。共産党だって、ちゃんと公然の政党よ。新聞も出ているし、選挙にも立っているんですもの。――コンミュニストだったにしろ大威張りなわけなのよ。――わたしはそうじゃないけれどもさ……」
 多計代やつや子より一足さきに、泰造が伸子を散歩につれ出したわけがわかった。
 喫茶店の派手な日除傘が見える道まで来たとき、泰造は、ちょいと足をとめるようにした。
「お前に、佃君が亡くなったことを、しらせたっけか」
「――いいえ」
 佃が死んだ――しずかな声で、いいえと云った伸子の、うすい絹服をつけた体の外側にだけ八月末のロンドンの暑さはのこって、おなかのしんをすーとつめたいものがはしった。――佃が死んだ――
「遺児の育英資金を募集しているんでね、立つ前に、応分のことをして来た。きょう、事務所からよこした書類の中に受取がはいって来たんで思い出したんだが」
「いつごろのこと?」
「あれは――もうごたごたしはじめていたときだから四月ごろだったかな。結核だ。三人遺児があって、まだどれも小さいらしいから、夫人は気の毒だ」
 伸子が佃とわかれてから五年たっていた。三人の幼児とのこされた夫人というひとは、佃に同情して、我ままだった伸子さんに代って、佃をきっと幸福にして上げるといって彼と結婚したひとだった。どこかの学校で教鞭をとっているひとのようにもきいた。
「何でも、子供がみんな弱いんで、沼津とかへ移ったということだった」
 佃との生活にどうしても馴れることができないで、伸子が逃げ出してしまったとき、佃のアメリカ時代からの友人が、こんど結婚したら女が何と云っても、子供を生ませなければいけない、と忠告したということも、伸子はきいていた。佃が自分で、そういう風なことを伸子に云ったような記憶もある。四つか三つをかしらに、三人のよわい子供をこれから育ててゆく夫人――。
 日ごろ、伸子は佃のことにかかわったところのない心持で生活していた。日本にいたころ、佃の住居のある町を電車で通ったりするとき、そこいらの角から不意に佃があらわれはしまいかと思って、身のひきしまる思いだったのは、別れて当座のことだった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ立って来る前に、渋谷からタクシーで、佃の住んでいる町の角々に目をとめて、冷たいいとわしさで通りすぎてから、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でも、伸子の心に悔恨の感情は湧いたことがなかった。不思議に佃の夢を見なかった。伸子は、佃が次の家庭をもっていて、彼としての満足のうちに生活していることを、よかったと思っていたのだった。そういう佃の幸福は、佃のものであった。佃の幸福の内容が伸子の感じる幸福感とちがう性質のものであるからこそ、伸子は彼といられなかった。羨しさとは、自分にも同じそれが欲しい心に生れる思いであった。伸子は、佃のところであり得る幸福からは、逃れたのだ。
 日光のおどる芝生の間の小道を歩きながら伸子の心に、人の生きかたの哀さの思いが湧いた。
 短い幸福をうけて四十五歳で死んだ佃も、そのように短い間の彼の幸福のために努力して、より大きい努力の必要のうちに三人の子供とともにのこされた夫人のめぐり合わせも、伸子には、気の毒に感じられた。
「お父様が、その育英資金に加わって下すったの、ありがとうございました」
 その晩、一日の終りにいつもそうして時をすごすとおりアーク燈にてらされている公園の木立を見おろすホテルの部屋の窓ぎわに立って、伸子は、公園の散歩で父からきいたことを思いかえしていた。
 悲しみと名づけられるこころもち、涙ぐむこころもち、そういう感傷は、佃が亡くなったときいたときから、伸子のなかになかった。しんとして、まじめにひきしめられた思いがあった。――佃の生涯は終った――佃の生涯は終った――その思いをたどっているうちに、伸子の心は自覚されていなかった一つの区切りのようなものを見出した。佃と自分とのいきさつは、完結した[#「完結した」に傍点]。その事実の新しい確認がある。
 伸子は、これまで、佃に対して、何かの責任を感じながら暮していたのだろうか。伸子にそんな意識はなかった。だけれども、思いがけず佃の亡くなったしらせをきいた今、伸子の心のうちに強くなりまさるのは「完結した」という意識だった。伸子が何もしらなかった今年の四月のあるときに、伸子の過去の生涯に、一つの大きいピリオドがうたれた。伸子はきょうまで何もしらないままモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]を出発して、ロンドンへ来た。伸子の過去に一つのピリオドがうたれたとき、伸子は知らないままに伸子の新しい生涯の日々を歩みはじめていたのだった。
 両手で顔をおおいながら伸子は夜の公園に開いている窓の前に膝をついていた。熱心に生きようとしている自分の命ひとつのなかに、いくつの命が、綯《な》いあわされて来ただろう。死んだ弟の保の、若くて柔かい、いとしい命。佃というひとの、暗く、ぎごちなくて、しかし嘘はつかなかった命。つよい生活への欲求のなかで、死んだ人々は生きている。そのことが伸子の胸をしめつけた。彼とのことは完結したのだ。その自覚から生れた、思いがけない解放感。――佃との間にあったすべての経験は、これまでよりもっと自由に、生きてゆく伸子の生のうちにうけいれられたと感じられる。両手で顔をおおうている伸子の眼からは涙がこぼれないで、体じゅうがかすかに震えた。熱でもでる前のようにふるえている伸子をつつんで、あけはなされている窓から流れこむ夏の夜の濃い樫の葉が匂った。

        二

 素子がさきにモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰ったことは、ロンドンでの伸子に、五年ぶりのひとり暮しをもたらした。その日々のうちに、佃が亡くなったしらせをうけた。これらの二つのことは、伸子の生活にとってどんな意味を与える新しい条件であるかということや、それが伸子の意識の底にこれまでとちがうどんな流れをおこさせているかというような点に心づかないまま、伸子はロンドン滞在を終ってパリへ帰って来た。
 泰造と多計代とは、ゆっくりしたロンドン滞在がすんだら、もうこんどの旅行の中心目的は果されたこころもちらしかった。秋の時雨のふりはじめたパリへは、帰り道の順で立ちよっているという状態だった。
 もうそろそろ煖炉に火のほしい季節で、ペレールのアパルトマンでの夫婦の話題は、もう一つスケジュールにのこっているジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]行きのことだの、土産ものの相談などだった。
 客間の長椅子で、子供らしく片方の脚を折り、片方を床にたらしたつや子が、カルタのひとり占いでもしているように、ロンドンで集めて来た船のエハガキを幾枚も並べて、ひとり遊びしている。佐々の三人は、大体十一月のはじめにパリを去る予定で、太洋丸に船室を申しこんでいた。ロンドンではつや子にも友達があり、身なりもつや子の年に似合う少女らしさでととのったけれども、大人の間で居場所のきまらないような不安定さはパリにいてもロンドンへ行っても同じだった。大きい船にのって、またひろい海へ出て、港から港へとゆるやかにうつる景色をたのしみな
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