ォのおしこみだったんだもの――|私の主人《マイ・マスター》さえ出なけりゃ、お母様の英語も、大丈夫よ」
「あら、その話、わたしまだ知らないわ。ねえ、お兄様」
家族のなかにはいって暮すようになってからまだ程もないひとらしく小枝が和一郎をかえりみた。
「小枝ちゃんだって案外気がつかないで云っているんじゃないの、和一郎さんのことを、宅だの主人だのって。――いつだったかニューヨークから建築家のブランドンさんが不意に、お父様のお留守に訪ねて来たことがあったのよ。そのとき、お母様が玄関へお出になったのはよかったけれど、|私の主人は不在です《マイ・マスター・イズ・ナット・アット・ホーム》っておっしゃったの。まさか宅を直訳してハウス(家)とは云えないってことをとっさに判断なすったのは大したものよ」
「なるほどねえ。――ありそうなこった!」
特徴のある喉声をたてて素子もふきだした。笑い声のなかから、小枝が、
「わたしだって、あやしいもんだわ」
思いもうけなかったところで、多計代とあんまりちがいそうもない自分を見つけ出したことにおどろいた眼だった。
「じゃ、小枝なら何て云ったと思う?」
「何ていうかしら……ともかく、ちょっと考えたろうとは思うわ。ミスタ・佐々というにしろ――」
飾ったところのない云いかたをした。
「だって、考えてみれば、わたしたちが女学校でならった英語には、父《ファーザー》とか良人《ハズバンド》とか云う言葉はたしかにあったけれど、その父や良人を自分からはなして、三人称?――ミスタ誰それ、っていう場合は、はっきり習わなかったみたいだわ」
「そこに、日本のいわゆる『家庭』ってものの、急所があるんですよ」
素子が、瞳のなかに鋭い光を浮べた。
「女は何よりさきに|おれの女房《マイ・ワイフ》だし、|わたしの母さん《マイ・マザー》なのさ。ミセス誰それっていう、独立の存在がありますか」
うすく顔をあからめて、素子は半ば冗談に半ば辛辣に云った。
「日本じゃ、ミセスどころか、そもそもミスが人格をみとめられちゃいないんだから……。もっともミスもわたしぐらいになると、上にオールドがついて、幾分ちがいますがね」
「やあ……どうも、手きびしいですね。しかしね、吉見さん、僕は弁解じゃありませんが、ミス、ミセスにかかわらず敬意を表す方のたちなんです」
「――お兄様って――そうね」
ちょっと伏目になって何気なく云う小枝の瞼と口元にあらわれた微妙なかげが、伸子の目をとらえた。素子もそれに気がついた。
「しかしまあ小枝さんは当分安心していいでしょう、和一郎さんが離れまいからね。ここじゃ留守にフランス人のお客に来られるっていう心配もないだろう」
和一郎は、機嫌のいいときの彼一流の、さざなみがひろがってゆくような軟かい微笑を顔の上に浮べて、素子の言葉にゆっくり、
「まあ、そうですね」
とあいづちをうった。
その表情を眺めていて伸子は、近ごろの和一郎というものがわかったように感じた。和一郎は両親から解放されているばかりでない。どっちかと云えばかたくるしい弟であった保から、何かにつけてうけていた圧迫からも自由になったのだと。そして、彼らしい緻密さで、彼にとってはゆるやかにすぎてゆく生のたのしみを味っているのだ、と。その晩、和一郎の口からは一度も彼の専門にふれた話や社会的な事件にふれた話は出なかった。
十
伸子と素子とがベルリンで観そこなったピスカトールと有名な悲劇[#「悲劇」に傍点]女優であるその妻の劇団がパリへ来た。そして、労働者地区に近いアヴェニュー・ジャン・ジョレスの小さな劇場でふたをあけた。
ピスカトールはドイツにプロレタリア演劇運動をおこした演出家であり、民衆劇場が進歩性を失いはじめてからは自分の劇場をもって、ドイツの青年民衆演劇運動に働いている。このピスカトールの芝居の第一幕があがったとき、観客席の伸子は思いがけない親しみと同時におどろきを感じた。というのは、そこがまるでモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ででもあるかのように、先ず中央にかけられている大きなレーニンの像が目にはいったからだった。その右に竪琴と橄欖《かんらん》の葉で飾られたI・S・Rという三つの赤い頭文字があり、左に、C・G・T・Uと四つの頭文字が同じ竪琴とローレルに飾られてある。その下に人形芝居《ギニョール》の舞台ぐらいの大きさの舞台ができていて、上手にテラスと半分観客からかくれてその入口の階段が見える。そこの白い壁の上に、折々往来の人どおりを思わせる人の脚の影だの物かげが動いて、ごくあっさり普通のなりをした俳優は、楽に、小舞台からはみ出て、その下のテーブルのところで小鏡を片手にもって髭を剃ったり、女が縫いものをしたりする。背景は海だった。ただ白い布に、赤と、碧《あお》の照明のかげが落ちて、たくみに揺れる海の水の重く光る感覚が表現されるのだった。ハンブルグの港湾労働者のストライキからとられたエピソードで、港町の労働者夫婦の生活の物語だった。洗煉されて新鮮な舞台装置とリアリスティックな登場人物とはうまく調和していて、そのような舞台の雰囲気は、レーニンの像やC・G・T・Uという大きな四つの頭文字などを労働者階級のたたかいの旗じるしとしてよりも、むしろ斬新な意匠としての効果にまとめているのだった。
伸子は、自分と素子との間にかけている蜂谷良作に、
「I・S・Rって、何の意味なんでしょう」
ときいた。
「僕もさっきっから何だろうと思って見ているんです。Iはインターナシォナールでしょう。――赤色労働組合インターナシォナールという意味だろうかとも思うんだが――国際社会主義革命ってわけじゃないのかな」
「それじゃ、Sの意味がわからないじゃありませんか」
すこし茶っぽくて柔かい髪をおとなしく左わけにして、大柄な体を地味な服につつんでいる蜂谷良作は、素子にそう云われてこまったような顔をしてだまった。満鉄関係の調査機関から派遣のような、留学のような形でパリへ来ている蜂谷は、伸子と素子が日本であったころには、ある大学の経済学教授だった。かたわら、満州と中国の経済事情の研究をしていた。伸子と素子とが彼と知り合いになったのは、中国旅行から帰って来た蜂谷良作を中心にした、小規模の報告座談会のような席でだった。伸子や素子を能見物に招いたりする楢崎佐保子が、その夜も二人を誘ったのだった。
そのとき、中国共産党の革命の見とおしについて、いろんな角度から質問された。蜂谷良作は、うつむいて一つ一つ質問を注意ぶかくきいて、それに答えたが、中共の革命が成就するまでには、今日の中国の生産条件から見て必ず通らなければならないもう一つ手前の革命的段階がある、というのが彼の根本前提であった。社会主義は、原則として、発達した資本主義の矛盾の中から生れるものである。そうだとすると、中国のアジア的生産は、近代資本主義から数百年もおくれたままの状態であるから、社会主義革命の前に、まずブルジョア革命が行われて、中国の歴史に近代資本主義生産の条件が熟さなければならない。その意味で、自分としては蒋介石政権の役割を、一部の人の批評するように、単なる反動として断定してしまうことには疑問をもっている。蜂谷の、中共革命についての考えかたは、そういうものだった。蜂谷良作の意見をもう一つつきつめてはっきり云えば、中共の運動は要するに中国の大衆の生活に根をおろしていない一部のウルトラどものまきおこしている騒動にすぎない、ということになるのだろうか。二月の上海のジェネストや臨時革命委員会の成立はコミンタン(国際共産党)の革命あそびにすぎないというのだろうか。そう質問したひとがあった。
そのとき、蜂谷良作の、ぼってりして子供っぽいようなところのある顔の上に、濃い動揺の色があらわれた。蜂谷良作はしばらく伏目になってテーブルの上にある鉛筆をいじっていたが、やがて頭をもたげて、中国には特別な事情があることも認めなければならない、と答えた。近代に入ってから列強の半植民地になっている中国としては、民族自立の要求が強烈なのは当然であって、中共の運動はその点で、独特な足場をもっているとも云える、と。
たまに無産者新聞を見ることがあるぐらいだったそのころの伸子には、蜂谷良作の理論について判断ができなかった。彼の教授らしい質問への答えかたと、そこに感じとられた性格的なものが印象づよかった。蜂谷は、自身としてそのどちらにも加担しないまま、蒋介石も中共も、それぞれのものとして認めようとする態度でいる。蜂谷良作の表情を見ると、そのどっちつかずの曖昧さも、用心ぶかさや狡猾さから出ているというよりも、彼として、ほんとにそうとしか考えられないありのままを、云っていることが感じられたのだった。
それから足かけ三年がたった。きょうパリでピスカトールの舞台を見ながら伸子にその意味をきかれ、はっきり答えられなくて素子につっこまれた蜂谷良作の困ったような顔つきは、パリでの一年半の生活が、蜂谷良作をより器用な人物に変化させていないことを告げた。教授という肩書のない現在の蜂谷は、かえって元より精神の柔かい部分――未完成なところをむき出しているようでもある。それが、伸子にも素子にも、蜂谷の気やすさとして、感じられているのだった。
十一時半ごろ芝居がはねた。三人は、うすら淋しい場末の夜の、アヴェニュー・ジャン・ジョレスから賑やかなサン・ミシェルの大通りまで戻って来て、とあるカフェーのテラスで休んだ。
ベルリンで見た「三文オペラ」の舞台と比較して、素子がしきりにピスカトールの芝居の批評をした。
「構成派の芝居みたいに、いやにどぎつかったり、しゃっちこばって凄《すご》んだりしていないのはいいけれど、あれじゃあ、気がききすぎている。理性的な、鮮明な舞台をねらっているのはわかりますがね、――あれじゃインテリくさいや」
黒びろうど[#「びろうど」に傍点]の大垂幕を二枚背景としてつかって、その前に工事場の足場を意味する大きい半円形の螺旋《らせん》の段々がこしらえてある。一段一段とそこをのぼってゆきながら、良人を殺された労働者の妻のアンネットが悲しみと憤りに燃えて仲間の港湾労働者たちに叫びかける大詰の場面は、ピスカトールの妻である女優の大きい身ぶりの線があんまり洗煉されて鋭くて、伸子は、ペイラシェーズのコンミューン戦士の墓についている女の浮彫像を思い出したほどだった。
「パリの観客ということを考えて、ああいう味をつよく出しているのかしら――象徴的《シムボリック》だったわね。プロレタリア・シムボリズムってあるものかしら」
「そんなもの、あるもんか」
すぐ素子が否定した。
「シムボリズムは、土台労働者階級のものじゃないでしょう。だから、インテリくさいって、いうのさ」
「でも革命の情熱が、赤旗にシンボライズされていて不自然じゃないわよ。ソヴェト同盟の『鎌と槌』だっても――」
芸術的なところがあるという性格でない蜂谷はだまって二人の女の話をきいていた。外国生活の多面さとして、映画や芝居もときどきは観ているというわけらしかった。
伸子と素子とがもう二三日でロンドンへ立つところだという話から、蜂谷は、そのカフェーのコバルトと黄色に塗られた椅子の上で厚い胸を張るようにして、
「僕もそろそろどっかへ動き出したくもあるなあ」
と云った。
「じゃ、ソヴェトへいらっしゃい!」
伸子は、こだまするように云って、あながち出まかせばかりではない眼色で蜂谷を見た。
「わたし、思うとおりを云ってもいいかしら」
「ああ、もちろんさ。――何です?」
「わたしは、ベルリンでお医者の会に出たときそう思ったし、あなたに会ってからも思うんだけれど――どうして、みなさん、ソヴェトへ行こうとしないんでしょう。経済をやるあなたがいつまでもフランスにばかりいるなんて、わからない。中国へ行って来ている人なら、なおのこと、ソヴェトへは行って見たいだろうと思うのに――」
それについて知らないものの大胆
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