Aパルトマンの狭いなか廊下へもち出された。これから先の旅行のために残しておかなければならない衣類と、もういらない分とをよりわけて、うずたかくつみあげたベッドのはじへ腰をかけて、多計代はトランクのまわりで働いている伸子、素子、運搬がかりのつや子を監督した。多計代がくたびれてベッドによこになっても、そこからみんなのしていることは見える廊下の位置に、トランクはひっぱり出されているのだった。
「こっちじゃ、こんなにとりこんでいるっていうときに、小枝さんにも困ったもんだ。どうしてああ病気ばっかりするんだろう」
つや子がトランクのところへ運んでゆくひとやまずつの衣類に、最後の検分の目を向けながら、多計代は非難をこめてひとりごとした。
「いまごろ風邪ひきだなんて――」
その日は、熱が出ているからと、小枝は姿を見せなかった。和一郎が来て、トランクを多計代の云いつける位置に出しておいて、すぐ帰って行った。
伸子、素子、つや子の三人は、二日間、口かず少なく能率的に働いた。伸子は、いつか父に買ってもらった柿右衛門もじりの白粉壺をよく包んで、トランクの片隅に入れた。
その大荷物が二個運び出された翌日、廊下のカーペットが何となしごみっぽくなっているなかを、親たちとつや子三人はロンドンへ立った。早朝の出発で、北停車場へ送りに来たのは伸子たちのほかに和一郎だけだった。
留守になって二日目に、伸子と素子とはペレールの和一郎たちから晩餐によばれた。いくらか頬にやつれが目立って、それがかえって若妻らしいおとなびた美しさを添えた小枝は、親たちの留守に入っているという自分たちの立場からひかえめなものごしを失うまいとしているけれども、パリへ来てはじめて夫婦ぎりのアパルトマン暮しの楽しさは、つつみきれないそぶりだった。
「お姉さまを、ぜひ一度およびしなくちゃって云っていたのよ、ほんとにいろいろ御心配かけちまったんですもの」
「姉さんたちも、もう一週間ぐらいで行っちまうとすると、あんまり日がないから、いっそ早い方がいいかと思って」
和一郎夫婦は、半年ばかりロンドンに滞在することに決定して、先発した親たちが適当と思う下宿を見つけ次第、知らせをうけて出発することになっていた。伸子が、親たちと一緒に立たず、わずか一週間でも自分たちだけおくらしたのは、伸子のこころもちの切実な要求からだった。親たちがパリへ来てから、ペレールの家へ日参するようになってから、伸子の時間と精力とは、東京の家からそのままパリまでもちこされてついて来ている佐々一家の、家庭的ないざこざの中で費された。多計代の性格がかわらず、和一郎が和一郎であるかぎり、そして、おそらくは伸子も伸子であるかぎりは、循環小数のように、あるいは無為な人々にとってのスポーツででもあるかのように、いくらでも繰返される深刻そうで他愛のないごたつきに、伸子はあき疲れた。ペレールのアパルトマンのそとの世界には重大な事件があとからあとからとおこっていた。東支鉄道問題は、ソヴェト同盟にかみつく機会をうかがっている帝国主義の国々のあと押しで、蒋介石政府はわざと交渉会談を停頓させている。ソヴェト同盟の極東派遣軍のいるところでは、国境の村、町、都市のいたるところで、土地の住民による新しい中国の人たちのソヴェトが生れているらしかった。辺鄙地方の中国人民に、極東派遣軍の進駐は殺戮をもたらすものではなくて、はじめてその人々に人間らしい暮しのしかたを教えている。
ことは、どうなりゆくだろう。ボンベイやカルカッタでは、はだかではだしのインドの民衆が、幾千、幾万と行進し、地方から地方へと動いて民族独立運動を再燃させている。ランカシアの紡績労働者の大罷業は、ただ産業合理化に対する繊維労働者の生活擁護というばかりでなく、世界資本主義の新しい段階、一層明瞭になった労働者階級への攻勢、ファシズムの危険とのたたかいとして、「リュマニテ」はフランス労働者の注意によびかけているのだった。
片眼鏡《モノクル》をかけたチャンベルレーンとロシア流によばれていたチャンバーレンの似顔は、ソヴェト同盟の諷刺画を通じて伸子に見なれたものだった。チャンベルレーンの保守党内閣は、六月に労働党のマクドナルド内閣にかわった。「髭のマック」に、どれだけのことができるのだろう。日本でも張作霖を爆死させた田中義一の内閣が浜口雄幸の内閣にかわった。しかし、それで日本の支配階級が中国やソヴェト同盟に対してもっている野望の本質がかわったことになるのでないことは、伸子にさえもわかっていることだった。伸子は、こういうあれこれについてもっとよく、しっかりと知りたい情熱を感じ、ますますフランス語のわからない歯がゆさに苦しみながら、親たちをまずロンドンへ立たせた。
ロンドンについても、伸子が心にもっている地図は、泰造の、昔なつかしいロンドン案内とはちがっていた。伸子のロンドン地図では一八五〇年代のある陰気な雨の日に、一つの情景が描き出されていた。それは、大英博物館から遠くないとある街の歩道の上の光景だった。歩道へは、一軒の家の家主から追い立てをくって、放り出された家財がつまれ、そのわきに赤坊を抱いた気品のある細君と三人の子供と忠実そうな年とった召使いが、途方にくれた様子でたたずんでいる。この家族には、行く先がないのだ。しかし、かけ[#「かけ」に傍点]のたまっていた薬屋、パン屋、肉屋、牛乳屋は、家主からこの家族が追い立てをくったと知るが早いか、集って来て、借金のかたに子供寝台まで差押えている。こうして二百人もの弥次馬に囲まれていたのは、イエニー・マルクス夫人とその子供たちだった。伸子のロンドンには、このほかに一九〇三年に描かれた一枚の小さい地図もやきつけになっている。地図をかいた男は、やがてレーニンという名で知られるようになったロシアの亡命革命家ウリヤーノフである。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の革命博物館のレーニンに関する特別陳列室の壁に飾られているその小さい地図を、伸子は、どんなにしげしげと眺めたろう。親切に、注意ぶかくかかれているこの一葉の地図を目あてにロシアから秘密に国境を越えてロンドンへ集って来た人々による社会労働民主党の第二回大会で、プレハーノフ、マルトフたちのメンシェヴィキ(少数派)とレーニンを指導者とするボルシェヴィキ(多数派)にわかれた。きょう、ロンドンのコヴェント・ガーデンがロンドン最大の青果市場であるというだけでなく、そこに「労働者の生活」の発行所があり、イギリス共産党があるということを伸子が知っているのは、伸子としての自然であった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から出発して来て、ワルシャワの陰惨なメーデーに遭い、「ヨーロッパ方式」での民主都市とめずらしがられているウィーンの模型じみた舞台をとおって、ベルリンで伸子が消えない印象を与えられたのは、カール・リープクネヒト館前の広場のいくところにも、白い輪じるしを記念にのこしている労働者殺戮のあとであった。日本から毒ガス研究のために派遣されている津山進治郎の思想の上にてりかえしている、ドイツの再武装、ファシズムの進行はあからさまだった。このパリからロンドンへ向おうとする伸子の心には、音楽でいうクレッシェンドのように次第に強くなりまさりつつある探究の情熱があった。伸子は、ロンドンをしっかりつかみたいと思った。そのためにはもう一歩深くこのパリの生活を、と――
半月ばかり前、伸子と素子とは日本で面識のあった蜂谷良作に思いがけずパリで出会った。蜂谷良作は経済が専門であった。伸子とすればロンドン行きをのばしたこの一週間のうちに、蜂谷にならきけるだろうと思われることを、あれもこれもと持っていたのだった。コンミューンの歴史をもっているのに、なぜフランスの共産党は、現在の程度の存在でしかないのだろうか。絶えず問題となっている統一労働総同盟《シー・ジー・ティ・ユー》と労働総同盟《シー・ジー・ティ》との関係はどういうことなのだろう。パリの労働者が労働者地区でだけ示威行進をしているというのも伸子にはわけがわからないことだった。それやこれやをみんな自分にわからせて、それからロンドンへ、と伸子は爪先に力のこもった状態だった。
素子の方は、大学の新学期がはじまるまえに、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰ろうと考えはじめている。ロンドンへ行って見たって同じことだ、と伸子を家族の間にのこして、自分だけモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ引かえそうとしている。いつまで、佐々の家族旅行にまきこまれるような形でいたって、というのが素子の心もちだった。伸子は自分の事情が、素子をそういう気分にさせていることに責任のようなものを感じ、ロンドンの街だけでも素子が見ておいた方がいいと主張するのだった。
「わたしは、あなたの姉さんみたいに、どこにいても何かが仕事の役に立つ、というようないい身分じゃないんでね。もう、こっちにだって、いすぎたぐらいのもんですよ」
素子は、食後のタバコをくゆらしながら和一郎に云った。
「もう、ぐずぐずしちゃいられない」
「どうして? まだ八月にはいったばかりよ」
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]大学の新学期は九月中旬から開かれるのだった。
「だからさ、ロンドンへは飛行機で行きましょうよ。いいでしょう? そしたら、まだるっこくないでしょう? そして、ざっと市街見物して、三日で立って来ればいいじゃないの」
そういう伸子の手をつかまえるような表情で、小枝が、
「飛行機なんて――何だかこわいようだわ、大丈夫なのかしら?」
と云った。
「このごろ、海峡《チャネル》でおっこちたって話はちっともきかないじゃないの」
「それより、姉さん、船に弱いんじゃなかったかな」
「弱いわ」
「吉見さんはいかがです」
「さあ、わかりませんね。しかし、昔大島通いの船じゃ散々でしたね」
「それじゃ二人とも、あやしいんじゃないですか。やっぱり相当酔うものらしいですよ」
「そこがいいところなのよ。吉見さん、ロンドンへ三日しかいないなんてがんばっているんだもの、あとで何がおもい出せるもんですか。だからね、たしかにドーバアを越えたっていうことを一生忘れないためには飛行機で行っておいた方がいいのよ」
「それにしても、いまごろは、おやじさん、さぞ感慨無量で二十年ぶりのロンドンを歩いているんだろうなあ」
そういう和一郎の顔つきには、自分たちもパリで解放された朝夕をたのしみ味っている満足と寛容さがあった。
「お父様の御様子、目に見えるようだわねえ」
伸子は、小枝の実感のこもった云いかたに笑えた。
「小枝ちゃんのおとうさまっていうのは、いつでもワグラムの通りをあっちから歩いて来るんじゃない?」
朝っぱらからワグラムのカフェーにいるところを、思いがけなく通りかかった泰造に発見されて、若夫婦の信用が徹底的に失墜した小事件があった。和一郎がとうとう自分たちの旅費は自分たちの自由にさせてもらおう、と親たちにつめよって行くようになった。彼のそんな感情の鬱積や嶮《けわ》しさも、いまのような気まかせなパリのアパルトマン暮しの中でおだやかに溶け去っているように見える。両親の留守をペレールで暮しはじめた和一郎の主人ぶりがあんまりなごやかであるだけ、伸子は姉として、その正反対の極にうつった場合の和一郎のむずかしさを思い比べずにいられないのだった。
しかし小枝は、今夜は今夜の和一郎のいい機嫌をそれなり幸福として、ほの明るみに輝やいている若妻だった。
「お母様もロンドンなら、御自分のおつき合いもおありになるから、ほんとにいいわ」
しかし、ロンドンのホテルで多計代の帯をしめてやっているのは泰造だろうか。それともつや子だろうか。小枝はその連想へまで自分をひきこむ気持のない明るさ、はなやかさで、
「お母様の英語って、しっかりしていらっしゃるのね。びっくりしたわ、船で話していらっしゃるのを伺って……」
「そりゃ、あの時代は、津田梅子先生じきじ
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