ワたかえりにここへちょいとよります、こっちはないしょですが……」
と健康そうな白い歯を見せて笑った。ソヴェトへ来て、自分というものは一つところに置いたまま、見聞ばかりをかき集めてもって帰ろうとするような人たちとちがって、吉之助や中館公一郎の態度は、伸子に共感を与えた。吉之助がふるい歌舞伎の世界のどこかをくいやぶって、自分を溢れ出させずにはいられなくなっている情熱。中館公一郎が映画監督として、自分の持てる条件を最大限まで押しひろげて見ようとしている目のくばり。そんな気持はどれもはげしく明日に向って動いている心であり計画であった。明日《あした》は、明日《あした》に杙《くい》をうちこんで前進してゆこうとしているこれらの人たちの生活気分は、保が死んでからソヴェト社会へつきささった小さいくさびのように自分を感じている伸子の感情にじかにふれた。
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来た歌舞伎は、そのふるい伝統の底から思いがけない新しいもの、種子を、そうとは知らず後にのこして、好評をみやげに日本へひきあげた。吉之助とあと三四人の若手俳優が、すぐベルリンへ立ち、中館公一郎も別に一人でハンブ
前へ
次へ
全1745ページ中511ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング