フ監督たちは新しい映画の英雄のように見られてもいる。
小柄な体としなやかなものごしをもって、柔軟の底に見かけより大きい気魄をこめている中館公一郎が、エイゼンシュタインの才能について多く云わないで、いきなりそのエイゼンシュタインに能力を発揮させているぐるりの諸条件につよい観察と分析とを向けていることが、伸子にとって新鮮な活気のある印象だった。中館公一郎がもちまえの腰のひくいやわらかな調子で、エイゼンシュタインは偉いですよ。そりゃたしかにすごい偉さなんでしょうけれどもね、というとき、彼の言葉のニュアンスのなかには、同じ仕事にたずさわるものに与えられている世間の定評に対する礼儀と、その礼儀をはねのけている芸術上の不屈さが感じられた。それは、伸子にも同感される感情だった。映画監督としての才能そのもので中館公一郎は、あながちエイゼンシュタインを別格のものとしているのではないらしかった。彼にとっては、エイゼンシュタインよりむしろソヴェトの映画製作そのもののやりかたが重大な関心事なのだった。ソヴ・キノのスタディオからかえったとき、素子が、
「あの棒はいい思いつきだったじゃありませんか」
と、云った
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