セというのだろう。自分がどうなっているからというのでなく、やがて自分がどうなるだろうからというためでなく、死んだ保につきやられて遠のくこれまでの家と自分の半生に対して、伸子は自分の顔が向っている今の、ここに、力のかぎりしがみついているのだった。いまは全く伸子の生のなかにうけいれられている保を心の底に抱きながら。
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   道標 第二部

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    第一章


        一

 その年の夏の終り近くなってから伸子と素子とはニージュニ・ノヴゴロドからスターリングラードまでヴォルガ河を下った。ドン・バスの炭坑を見学したり、アゾフ海に面したタガンローグの町でチェホフがそこで生れて育ったつましい家などを見物して、二人がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰って来たのは十月であった。
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]には秋の雨が降りはじめていて、並木道の上に落ち散った黄色い葉を、日に幾度も時雨《しぐれ》がぬらしてすぎた。淋しく明るい真珠色の空が雨あがりの水たまりへ映っていて、濃い煤色の雨雲がちぎれ走って行くのもそのなかに見えた
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