オて、鼻眼鏡をかけて髭のそりあとの青い顔をテーブルの上へつき出しながら技師はエレーナ・ニコライエヴナに言っている。
「トルストイが家庭に対してもっていたこころもちは私にはわかりますね。――理解のふかいあなたに、彼の心がわからないというわけはないと思います」
「まあ」
エレーナ・ニコライエヴナは、自然にうけとれない亢奮をかくした笑顔で、
「でもそれは良人として、父親として家庭への義務を忘れたことですわ。ねえ、リザ・フョードロヴナ」
と、いきなりテーブル越しに、伸子のわきにいる技師の細君に話しかけた。
「――トルストイの場合として、わたしは理解されると思いますよ」
リザ・フョードロヴナはおだやかにフォークを動かしながらいつものしっとりとした声で、エレーナ・ニコライエヴナを見ないで答えている。そこには何か感じられる雰囲気があるのであった。
伸子は、その雰囲気を感じながら同時に自分自身の思いに沈んだ。保の死んだ前後のいきさつをこまかく書いた泰造からの手紙をよんでから、伸子にはあのことも、このこともと思いあたることばかりだった。
駒沢の家をたたんで、荷物を動坂へはこびこんだとき、伸子は本
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