゚させなかったでしょう――私は、殴れない人間だったのです」
自分の恐怖や弱さを飾りなくあらわしたパーヴェル・パヴロヴィッチの話は、みんなに一種の感動を与えた。老嬢エレーナも、その話に誇張があるとは云わなかった。同時に、リジンスキー教授もヴェルデル教授も、兵士たちが、どうしてもっと前に将校の殴るのをやめさせることが出来なかったかということについては話題にしないまま、やがてテーブルからはなれた。
伸子は、パーヴェル・パヴロヴィッチのエピソードから深い印象をうけた。それと同じくらいのつよさで、パンシオンの話術を感じた。この人たちの間には、品のいい話しぶり[#「品のいい話しぶり」に傍点]があるのだ。
翌る日のアベードの前、すこし早めに自分の室から出て来た伸子が素子と並んで、パンシオンの古風なヴェランダに休んでいた。隣りの家との間に扇形に枝をひろげた楓の大木があって、その葉かげを白い頁の上に映すような場所の揺椅子で、老嬢エレーナがフランス語の本をよんでいた。ヴェランダからは午後三時まえの人通りのない夏の日の大通りと、大公園の茂みと、そのそとの低い鉄柵が見えている。デーツコエ・セローの夏の日
前へ
次へ
全1745ページ中437ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング