セるさは、ゴーリキイの薄灰色のやわらかな服の肩にも膝にも落ちて、それは絨毯の上で伸子たちの靴のつまさきを光らせている。
自分が話そうとするよりもゴーリキイの真率でとりつくろったところのない全体の様子を伸子は、吸いとるように眺めた。ゴーリキイには、有名な人間が自分の有名さですれているようなうわ光りが微塵《みじん》もなかった。ゴーリキイの全体は艷消しで、年をとったことで一層人間に大切なものは何かということしか気をとめなくなった人の、しんからの人間らしさ、その意味での気もちよい男らしさがあった。いろいろなことをつよく感じとりながら、ゴーリキイの精神には誇張がなかった。あぶなっかしい伸子のロシア語を、ゴーリキイは骨骼の大きい上体を椅子の上にこごみかげんにして、左膝へつっぱった肱を張りながらきき、あり得ることだと云って肯くようなとき、ゴーリキイの簡素さと誠実は伸子に限りないよろこびと激励を与えた。
そろそろ暇《いとま》をつげかけたとき伸子がゴーリキイに云われて贈呈した小説の本の扉へ、ロシア語で署名した。書きにくい字が、改まったらなお下手にかけた。伸子はそれをきまりわるがったが、ゴーリキイは、
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