艪ュその事実に立つものだということが、いつか自然と伸子にものみこめて来ていた。あらゆる場面でそれはそのように理解されているのだった。
婦人雑誌の上で二木準作のコロンタイズム礼讚の文章をよんで伸子が感じたショックは、十年おくれの紹介が野放図にされているというだけではなかった。伸子は女としてその文章をよんだとき、本能的ないとわしさを感じ、胸が痛む思いがした。プロレタリア作家だという二木準作は、社会主義というものに対して責任を感じないのだろうか。伸子は、二木という人物の心持をはかりかねた。伸子たちが日本を去る頃、マルクスボーイとかエンゲルスガールだとかいう流行語があった。伸子はあんまり出会ったことがなかったが、菜っ葉服をきた若い男女が銀座をのしまわすことが云われていた。その時分、ジャーナリズムにはエロ、グロ、ナンセンスという三つの言葉がくりかえされていた。コロンタイズムを紹介している二木準作の調子は、その三つの流行語のはじめの一つと通じているようだった。伸子の女の感覚は、それを扱っている二木準作の興味が理論にはなく、そういう無軌道な性関係への男としての興味があると感じた。もっとつきつめて云
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