キ」
なぜそう思ったんだろう。そう考えながらだまっていくらか仰向きかげんに向いあって立っている伸子の顔に、捲毛の女主人は瞬間全く別なことを考えている視線をおとした。が、やがてすぐ気がついたように、
「じゃあ、さようなら」
伸子に向って手を出した。
「さようなら」
入口をしめて雪の往来に出たとき、伸子は、やっぱりこのひとも、心の底では本当に部屋をかしたかったのだと、あわれな気がした。舞台の上にいるように、扮装だらけのいろんな表情で日々を送りながら、真実には不安があるのだ。伸子に向って云うというより自分に向って云ったような女主人のニーチェヴォの調子を思いかえしながら、伸子はモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]夕刊社へ行く方角に歩いた。
ニキーツキー門のところまで来たら、丁度|並木道《ブリ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ール》まわりの電車が、屋根の上に白くて円い方向番号をつけて通過するところだった。そのために縦の交通が遮断された。伸子のすぐわきの歩道で、支那女が、濃い赤や黄の色糸でかがった※[#「毛にょう+(鞠−革)」、読みは「まり」、第4水準2−78−13]を、ゴム糸
前へ
次へ
全1745ページ中245ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング