「わたしには、とても小説の方はのぞみがないわ。――一字一句格闘なんだもの」
「なれないからさ」
「それもあるだろうけれど……」
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来てからは、とくに字をよむよりさきに耳と口とを働かせなければならない必要が先にたって、伸子のロシア語のちんばな状態は一層ひどくなった。話す言葉は、間違いだらけでも、必要によって通用した。伸子の読み書く能力は、非常に劣っていた。自分の片ことのロシア語についても、伸子は昨夜の「にぇ まぐう」のことから不快を感じはじめているのだった。
「いまの作家で、だれの文章がやさしいのかしら」
素子は、考えていたが、
「わからないね」
と云った。
「外国人にわかりやすい文章とロシア人にわかりやすい文章とは、すこしちがうらしいもの。大体、ロシア人は新しい作家のは、やさしいっていうけれど、わたしたちには反対だ、訛《なまり》や慣用語、俗語が多くて――バーベリなんかどうだい。文章はがっちりしていてきもちいいけれど、やさしいどころか」
それは伸子にも推察された。
「ケンペルの文章、ほんとにやさしいのかしら」
本屋でヴェラ・ケンペルの
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