\想というだけで、フロムゴリド教授はその点について、はっきりしたことは何も言っていなかった。ただ、教授の話しぶりから伸子自身が、内科的な治療としてはするべきことがすべて試みられたこと、フロムゴリド教授は現在肝臓のはれのひききらない状態のまま伸子がだんだん動けるように訓練していること。しかしそれは快癒の状態ではないから、外科に診察をうけさせようと思っていることなどを判断しているのだった。そして、自分としてはかたく心をきめているのだった。よしんば不十分な癒りかたであるにしても、白くて、丸くすべすべした自分の脇腹から年じゅう胆汁を流す一本のゴム管をぶら下げて生きていなければならなくなるような手術は断じて受けないと。伸子は不具のような体になるのはいやだった。ブラウスの下にゴム管をさげている女の姿を想像すると、伸子はそこに遮断され、限定された未来を感じた。伸子は未来をそっくり未来のまま欲しているのだった。
 三月の雪どけがはじまって、冬じゅう静かな雪あかりにみたされていた伸子の病室の壁にも、雪どけでどこかにできた水たまりから反射するキラキラした光りがおどるようになった。そういう一日、伸子はショールをかぶり、毛布に包まれ、運搬車にのせられて、病室からはなれた構内にある外科へ診察をうけに運ばれた。ワーレンキ(長防寒靴)をはいたナターシャが看護服の上から外套を着、プラトークをかぶってついて来た。
 適当な温度にあたためられたひろい手術室で、伸子は着ているものをすっかりぬがされた。そして、手術台の上によこたえられた。マスクをつけていず、手袋をはめていないというだけで、すっかり手術者のなりをした三人の医者が、つやのいい体を裸でころがされ、きまりのわるさと厳粛さとまじりあった表情で口をむすんでいる手術台の上の伸子をかこんだ。そして、だまって診察しはじめた。内科の医者がやるとおり、肝臓の上を押したり、それを痛がって伸子が顔をしかめると、
「――痛む(ボーリノ)」
と仲間同士でつぶやいたりしながら。いくたびも同じ調べかたをしてから、三人のうちの一番年長で髭の剃りあとの鮮やかな医者が、
「さて…………」
 手術台から一歩どいた。手術室づきの看護婦の方へ伸子に着せるようにと合図しながら、
「あなたは手術をのぞんでいますか?」
 伸子は、手術台の上におきあがり看護婦のきせる病衣に腕をとおしながら断髪の頭をもたげてその医者を仰ぎ見、ひとこと、ひとことをあいての理解にうちこもうとするように云った。
「ヤー・ソフセム・ニェ・ハチュー(わたしは全然のぞんでいません)」
 みんなの顔に瞬間微笑がうかんだ。
 主任医師が、ちょっと考えた末、
「あなたに手術の必要はありません」
 そう結論した。医者の一人はそれだけきき終ると手術室のドアの方へ去りかけた。
「フロムゴリド教授はあなたをよく治療しました。あんまり脂《あぶら》っこいものを食べなさるな。ウォツカは一滴もいけませんよ。いいですね」
 また運搬車にのせられて、菩提樹並木の間の雪どけ道を内科病室の方へもどるとき、伸子は、
「ナターシャ、どんなにわたしがうれしいか察して頂戴!」
と言った。
「わたしは手術を恐れていたんだもの」
「まったくですよ」
 大きなワーレンキとふくらんだ体つきとでロシア人形のようなかっこうのナターシャは、折から行手にあらわれた水たまりをよけながら内科の看護婦らしく同意した。
「わたしも手術はきらいです」
 天気のいい午前十一時ごろで、大気はつめたくひきしまっているけれど、三月の日光は晴れやかにその爽《さわ》やかな大気を射とおし、伸子が運搬車で押されて行くふみつけ道のあたりのしずけさのうちには、樹の枝々からとけた雪が、地面にまだ厚く残っている雪の上へしたたり落ちるかすかなざわめきがあった。伸子はまる二ヵ月ぶりで外気にふれたのだった。手術をしないでいいときまって、しんから安心した伸子の体にも心にもよろこびがあふれた。長い冬ごもりからとかれた動物が春の第一日の外出で、自分の巣をもの珍しげに勿体《もったい》ぶって外から眺めるような感情で、伸子は菩提樹並木の彼方の平屋建木造の内科病室を眺めやった。
 その午後、病室にあらわれた素子を見るなり伸子は、
「万歳よ!」
 握りあわせた両手をすとんとベッドのかけものの上へうちおろしながら告げた。
「悪魔退散よ! 手術しないでいいときまったことよ」
 そして、上機嫌のおしゃべりで、伸子はけさ外科へ診察のため運搬車にのせられて出かけて行ったことや、久しぶりの外気がどんなに爽やかで気持よかったかということや、雪どけの道で、どんなに多くの悪魔の黒い穴を見つけたかという話をした。
 外科から病室へ帰って来る途中の菩提樹並木のところで、伸子は人のふまない白い雪の上に、いくつもい
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