齊G談の末、日本の天皇というものについてあなたはどう考えておられますか、と訊かれたとき、伸子はあんまりその質問が思いがけなかったからベッドの上で笑い出した。どうって。――あなたがたのような軍人さんは別かもしれないけれど、わたしたち普通の人間がそんなに天皇のことなんか考えているものなのかしら。――伸子には、そうとしか感じられなかった。すると藤原威夫は自分も薄く笑ってそりゃそうでもありましょうがね。と伸子の耳について消えない穏やかな執拗さで云った。御覧のとおりロシアではツァーを廃してこういうソヴェトの世の中にしているんだし、フランス革命のときだって、ルイ十六世をギロチンにかけたんですから、大体社会主義思想そのものに、主権の問題がふくまれているんでしょう。あなたは、大分ソヴェトのやりかたに共鳴しておられるらしいから、ひとつその点をおききして見たいんです。――伸子はみぞおち[#「みぞおち」に傍点]のあたりが妙な心持になった。これが雑談だろうか。伸子は、この質問のかげにぼんやり何かの危険を感じた。一般的に軍人に対する本能的ないとわしさがこみあげた。しかし伸子は自然な警戒心から自分の感情におこったいとわしさをおしころして、はじめと同じ調子で返事した。そりゃ、わたしはソヴェトの生活に興味をもっているし、感心していますけれど、だってそれは、ソヴェトのことでしょう? 日本は日本でしょう。あなたはどうお思いかしらないけれど、わたしはまだ革命家というものになってはいないのよ。理論は知らないんです。それは伸子のありのままの答えだった。じゃ、あなた個人の気持ではどうです? 藤原威夫は、同じおだやかなねばりづよさでなお質問した。日本に天皇はあった方がいいと思いますか、無い方がいいと思いますか。伸子はそういう風によくわけのわからないことを受け身に質問されては答えようとしている自分に腹立って来た。伸子は、ぽっと上気した。そして、どんな人が考えたって、在る方がいいものならあっていいだろうし、悪いものならないのがいいにきまってるんじゃないかしら。と早口に云った。そんなにおききになるのは日本に天皇があるのが悪いと思っていらっしゃるからなのかしら。伸子は、むっとして、変だと思うわ、とつぶやいた。どうして、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で天皇がそう問題になるのか。
 藤原威夫は、伸子の癇癪をおこしたような同時に問題を理解していないことがあらわれている答えかたを、青黒い、眼のくぼんだ顔の表情を動かさずきいていたが、やがて云ってきかすような口調で、日本の将来にとってあらゆる場合この天皇の問題が一番むずかしいし、危険な点でしてね、と云った。日本でも、共産主義者は、天皇制打倒を云っているんです。従ってこんど改正された治安維持法でも、第一条にこの国体の変革という点をおきましてね。きわめて重刑です。あなたも、社会についてどう考えられるのも自由だが天皇の問題だけは慎重に扱われたがいいですよ。藤原威夫は、タバコを吸わない人と見えて、長椅子にもたれている両腕を腕ぐみしたままこういう話をした。伸子がだまって彼のいうことをきいていると、藤原威夫は、声を立てない笑いかたで口のまわりを皺めながら、あなたのお母さんも、御婦人にはめずらしく深く考えておられると見えて、あなたの思想について御心配でしたよ、と云った。伸子は、胸のなかへ楔《くさび》をさしこまれるように肉体の苦痛を感じた。多計代が、伸子に対するあの昔から独特なひとり合点と熱中とでなまじい頭の動くまま、藤原威夫に何を話したのかと思うと、伸子はわが身のやりどころのない思いだった。それが伸子という娘に対する多計代の母の愛だというのは何たることだろう。伸子は、苦々しげに堅くほほえみながら云った。わたしは母にはもとから評判がわるくて。――さぞエゴイストだって云っていたでしょう。すると、藤原威夫はいま伸子を見ていると同じ冷静な表情で多計代をも観察したらしく、そうでもなかったですよ、と云った。感服もしておられたです。入院してからよこされたあなたの手紙にちっとも悲観の調子がないと云って。しかし、去年の夏ですか、弟さんが亡くなられたのは。それからあなたがちっとも手紙に思想上のことを書いてよこされなくなったのを心配しておられたでしょう。まあその点についても私からよく云ってあげましょう。
 多計代にとって、藤原威夫が何ものだというのだろう! 伸子は体がふるえる思いがした。多計代は、子供のことについては自分が誰よりも理解しているというくせに、現実ではいつも、思いがけない他人のわが子に対する批評をきいてまわり、その言葉に影響されている。保の家庭教師の越智の場合にしろ、そうだった。彼の主観的なまた性格的な批評が、そのまま多計代の伸子に対する感情表現にく
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