ノついて、わたしの責任はないのよ。わたしはまるでそのことは知らなかったんだから。――あなたから、いまはじめてきかされたんだから。そのかわり、あなたのことについて、わたしは誰からもひとことも話されていませんよ」
煮えたぎるようだった女のいらだちとぼんやりした屈辱感は、伸子のその話しぶりでいくらかずつ鎮められて行くらしかった。伸子のねているベッドの裾のところにつっ立っていた女は、すこしらくな体つきになって肩からひっかけている外套の前を押えながら衣裳箪笥にもたれた。伸子は、
「腰かけなさい。立っていることはあなたの病気にわるいんです」
と云った。
「あなたは、あんまりどっさり働かなけりゃならなかったから病気になったんだから……」
女は、のろのろした動作で長椅子にかけた。彼女は素足に短靴をつっかけている。いかにも、もう我慢ならない、と病室からとび出して来たらしく。ひとめ見たときはこわらしい彼女の顔にある正直ものらしい一徹さと生活にひしがれたぶきりょうさが伸子の心にふれた。ふっと伸子は、この女の亭主には、もしかしたらほかに若い女があるかもしれないと思った。
「あなたの旦那さん、あなたの見舞に来ますか?」
「あのひとにどうしてそんな時間があるものかね、会議! 会議! で。いつだって、夜なかにならなけりゃ帰ってきないよ」
「党員?」
「ああ」
「あなたは?」
女は腹立たしそうに、ぶっきら棒に答えた。
「わたしは党員じゃないよ、組合の代議員さ」
「結構じゃないの。デレガートカ(代議員)ならあなたも自分の病気について、道理にかなった考えかたをもたなくちゃならないと思うわ」
「そりゃそうさ。――だけれどね、まあ見ておくれ」
女は自分の外套をひろげ、更に病衣をはだけて伸子に清潔でない自分の胸をみせた。
「このわたしの体のどこがむくんでるんかね、それどころか、やせちまったわ、ろくなもの食わないでいるから」
「塩気なしの食事でしょう?」
意外らしく女は伸子の顔を見直した。
「――お前さん、医者の勉強もしているのかね」
「世界中、どこでも腎臓の病人には塩気をたべさせないんです」
「それにしたって、お前さんにゃわけがわかるかね。これほど毎日医者の顔さえ見りゃもうなおったって云ってる者を、何だってまた意地にかかって出さないんだか」
女の眼のなかにまたつかみどころのない非難苦悩があらわれた。女は思い嵩《こう》じて、脅迫観念のようなものを感じはじめているらしかった。すっかり連絡の絶えてしまった家族や亭主のことが日夜気にかかるあまり。
伸子は蛋白というロシア語を知らないので困った。そればかりか、この女の体のなかにどんな病気があるのか、どうして伸子にわかることが出来よう。伸子はやがていいことを思いついた。レントゲン照射を受けたかどうか女にきいてみた。
「ああ。やられたよ、来て間もなしに一度と、またこの間。――ありゃ高くつくんだってね」
「心配はいりませんよ、あなたは組合員なんだもの。――医者は、あのレントゲンの写真を見て、まだ癒っていないっていうんだと思います。あなたはそれを見なかったにしろ、彼はよく見ていますからね、それが仕事なんだから……」
いま女は伸子の病室の外まできこえるような声では話さない。日本の女が、襟の間に片手をさしこんで物思いするように、女は外套の襟のところへ手をさしこんでうなだれた。肩にふりかぶっている髪はこんがらかっていて雪明りのなかによごれて見える。
伸子は、よけい重苦しくなった脇腹へ、ゴム湯たんぽをひっぱりあげながら、
「早くかえろうと思うなら、気を立てることは禁物ですよ」
と、疲れの響く声になって云った。
「鍋の下で火をたけば、病気もそれにつれて煮えたつからね」
そして、一つの思いつきを女に提案した。同じ病室から退院する誰かに家の住所を教えて、子供に来るようにつたえて貰うように、と。伸子は大儀になって枕の上によこたわった。女はうつむいた頭をもたげて、あてもなく二重窓の外の雪景色に目をやっている。伸子にそっちの景色は見えない。二重窓は寝台のちょうど真上にあたるところにあるから。
伸子の病室の人気なさと沈黙とが、その女の気分に最後のおちつきを与えたらしかった。彼女は、暫くすると自分に云いきかすように、
「じゃあまあ、当分辛抱してみることだね」
と、膝に手をつっかって、身をもちあげるように長椅子から立ちあがった。亢奮がすぎて彼女にも疲れが感じられて来たらしかった。
「お前さんは、よくわかるように説明したよ」
そう云って、女はちらりと微笑に似た皺を口のはたに浮べて伸子を見た。そして、足をひきずるように伸子の病室から出て行った。
お前さんはよくわかるように説明したよ。――何て組合の職場集会での言葉だろう。あのもつれた暗色の
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