ネ眼で見据えた。そして、ふん、というように顔をそむけ、その顔をもどして、
「わたしへ遠慮はいらないよ」
と云った。
「そんなに咲き揃いたいんなら、さっさと咲き揃ったらいいじゃないか。――さいわい、ここなら、内海君とちがった男たちもいるんだから」
 かたく、大きく見開かれた伸子の目の前で、素子は挑発するように伸子を見ながらパイプをもっている片手で自分の顎から頬へさかなでした。
「――せいぜい全き性を発見するさ!」
 ガスへバッと音をさせて火がついたように、伸子の気持が爆発した。
「それはどういうことなの」
 素子につめよろうとする衝動をやっと制しながら窓ぎわから伸子がひしがれた声で反問した。
「何の意味?」
「わかってるじゃないか」
「わからなくてよ――なにを思いちがいしてるんだろう……」
 厭《いと》わしさで伸子の唇が蒼ざめた。
「わたしは――複雑に云っているのよ」
 素子は明らかにかんちがいしているのだった。伸子が云った全き性という感じや、咲き揃うということを、じかに男は女との関係、女は男との関係という風にだけうけとったのだ。しかもその関係というものを、素子の狭い傾いた主観の癖で、直接で露骨な性の交渉の絵図に局限して、
 伸子は、素子を見ていればいるほど、素子の暗く亢奮してこちらを睨んでいる眼つきから、唇の両端を憎らしそうに、自虐的にひき下げている口つきから、いとわしさを挑発されるのに気がついた。伸子は、泣きたくなった頬を手でおさえて、窓の方へ向いてしまった。
 ネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の上流に架かっている長い橋の上を、灯のついた電車が小さくのろく動いてゆく。日頃は、特別な意識をもたずにすぎてゆく伸子と素子との生活だが、伸子が何か男の影をうけたと素子が思うこういう瞬間に、素子は思いもかけない角度でぐらん[#「ぐらん」に傍点]と感情の平衡を失わせた。そして、その上に強《こわ》もてに全身で居直った。軟かい素子の女の体が、異常な激情に力をこめて居直るのを見ると、伸子は悲しさといとわしさで、自分たち女二人の生活にかくされている普通でないものを考えずにいられなくなった。こういう場合伸子はいつも、より普通でないものを素子の側に感じながら、
 少女期を出たばかりにずっと年上の佃と結婚して、心がそこに安らわず、断続して遂に破壊された五年の結婚生活の経験で、伸子は女として、性的な意味でほんとに開花していなかった。伸子は、ほんとの意味では女にも妻にもなりきらないまま、素子と暮すようになったのだった。けれども、伸子は自分の女としてのその微妙な状態について、何と比較するよしもなく、従って知りようもなかった。本質ははげしいけれど今は半ば眠っている伸子の官能のなかで、まだその全能力を発揮させられずにいる強い愛の能力の範囲で、伸子は素子にひかれ、暮しているのだった。伸子としては、自分が自分の頬を素子の頬にふれさせたい気持になることがあること、唇をふれ合うこともあること。そういう感情や表現を、そっくりそのまま男と女との間のことと同じとは感じていなかった。それはちがうのだもの。素子は女なのだもの。未開のままその生活からはなれたと云っても、伸子は佃と恋愛した。夫婦の生活をした。伸子にとって男と女のちがいは、自然がそれを区分しているとおりはっきりしていて、素子は男の代償という意味ではなく、どこまでも女として、友達として、しかし、そこには頬をふれる気持になるようなところのある女友達として、伸子は結ばれているのだった。
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来て暮すようになってから、伸子と素子の生活は、駒沢にいた時分より、ずっとのびやかに、解放された。特に男たちから、伸子と素子との表面の暮しのかげに、なにか偏奇なグロテスクなものでもありそうにのぞきこまれる苦痛がなくなった。それに抵抗して、強いても二人を一組に押し出そうとするような伸子のうらがえされた恥辱感も消された。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]では、伸子たち二人が、つれだって遠い国から来ている外国の女たちだからと云うばかりではなかった。ソヴェトの社会生活では、男と女との接触が理性的にも感情的にも解放されていて、その間のいきさつはめいめいの自然の流れにしたがい、社会的責任で処理されている。そういう雰囲気の中では、性に関する好奇心とでもいうようなものも、表面で封鎖されているだけに、すべての下心が一枚はがれた下では、いつもかくされた亢奮ではりつめているような日本の状態とはちがった。すべてのことを感覚へじかにうけとるたちではあるけれども情慾的であるとは云えない伸子の気質は、ソヴェトのその雰囲気に調和した。そして、佃との苦しい生活で傷《いた》められた伸子が、異性への自然さを失わないな
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